天才盗塁職人・広瀬叔功
凄すぎる盗塁王と言えば、日本には福本豊がいて、アメリカにはリッキー・ヘンダーソンがいる。
だが、彼らは1000盗塁以上を成功させた代わりに、方や日本一、方や世界一盗塁失敗した男たちでもあるのだ。
成功と失敗は紙一重というくらいなので、それくらいのことでは輝かしい大偉業に微かな傷ひとつつけることは出来ないわけだが、その中で成功率、チームの勝利に貢献するために自慢の快足を飛ばして盗塁数を重ねて行った偉大なる男を忘れてはならないと思う。
その男の名は、広瀬叔功。
南海ホークス一筋22年。通算盗塁数596は福本に続く歴代2位に輝く。広瀬こそ南海一の天才だと称する声も多数あるほどの、万能選手だ。
「来た球を打つ」スタイルで2000本安打
また、理詰めでいく野村克也とは真反対と言ってもいいほどの感覚派で、打撃に関しては、ノムさんからのアドバイス(相手投手の球種など)を拒否し、何も考えずに「来た球を打つ」スタイルで活躍。
それで2000本安打、100本塁打以上、通算打率2割8分を超える成績を残しているというのは、数字以上の凄みを感じる。盗塁王5回も凄いが、首位打者獲得も相当すごい。
超人的に高い盗塁成功率
ここからはウィキペディアを露骨にコピペすることにしよう。
シーズン最多盗塁死は1度も記録せず、通算盗塁成功率82.9%(596盗塁123盗塁死)は、300盗塁以上の選手では歴代1位の記録である。「僅差の場面でしか走らない」「打者が2ストライクに追い込まれたら走らない」等、有用な場面でのみ盗塁を仕掛ける職人肌の選手で高い盗塁技術を誇り、1964年3月から5月にかけて31連続盗塁成功と、1968年にシーズン盗塁成功率95.7%(成功44、失敗2)といういずれも日本記録を持っている。
現代にも使用される機動力を活かした野球の戦法の多くは、攻守両面において、この頃に確立されたものが多いらしく、クイックモーションやドン・ブレイザー氏による当時としては斬新なフォーメーションなどが多数生み出されたという。機動力野球の申し子であり、体現者であるのが広瀬。
残した数々の偉業は、数字のみではかられるものではないと思う。
選手にまつわる逸話など、そういったものが時には残された数字以上に雄弁に輝くこともある例として、今回は広瀬という走塁職人をご紹介。
長々とごめんくださいませ。