中学の頃、俺は3つの部活を掛け持ちしていた。
そんな風に書くとまるで文武両道を極めたスーパースターが助けを乞われて大活躍したみたいな感じだが、まるで違う。
本当にまったくもって全然話にならないくらい違う。
ただ、何となく3年間を消費しようとしたを取り巻く環境が、それを許さなかっただけの話である。
サッカー部
人数が少なく、困っていたので「そんなに練習をしなくていいのなら」という条件で入部した。
だから、練習は3年間で2,3回行った程度。試合に出た数の方が多いくらいだが、ルールを把握していないので、ポジションやオフサイドを無視して自由気ままに駆け回っていた。
何度か、県内でも強豪チームの監督が俺の不可解な動作を深読みしすぎて、俺に3人ものマークをつけて大事な選手たちを台無しにしたことがあったのを思い出す。
途中から、「いかに違和感を覚えさせるか」を重視して試合に出るのが面白くなった。
「それっぽい動き」と「微妙に速い足」、「何故か倒れないフィジカルの強さ」「目のフェイント」を駆使して、試合をかき回すのを楽しんだ。
ポジションはディフェンダーみたいなのと、ゴールキーパーだった。
俺のサッカー部での実績は、1試合で6つハンドをおかし脱臼しながらも、無表情で続行したため1つもハンドをとられなかったことである。
合唱部
俺の通った中学には「昼休みに練習するだけ」の合唱部があり、とある条件を満たした生徒は強制的に参加させられるシステムがあった。
その条件は、1学期半ば頃に行われる音楽の「独唱」のテストで音楽の先生が「使えそうだ(音程が取れる、声が大きいなどと思われる)」と判断した生徒というもので、何も知らない真面目な、学ランのボタンどころかホックまでちゃんと留める無垢な俺は、テストを一生懸命に受けた。
そして、まんまと「使えそうだ」と判断されて3年間分の昼休みを、まるごと合唱部に捧げることとなった。
中には、いわゆるヤンキー的な子もいたんだけど、無断でサボることは許されなかった。サボると先生たちに捕まって、職員室の前で歌わされるという辱めをうけるからである。この辱めに俺は震え上がり、一生懸命参加した。
……とこう書くと、楽しくなかったかのように思われるかもしれないが、実はそうではない。
歌うことは楽しかったし、いろんなタイプの生徒たちがかき集められていたので、思いもよらない友達がたくさんできたのが良かった。
そして、うろ覚えなんだけど四国大会みたいなのに出て銀賞かなんかをとった気がする。単純に俺らはバスで遠出が出来るのが楽しくて、ついでに人前で歌って帰ってきただけだから感動も何もなかった。俺らにしてみれば、そんなことはいつもどおりのことであり、特別なことではなかったからだ。
合唱部というと、思い切り大きな口を開けて歌うイメージがあるかもしれないが、俺らは「やだよ、恥ずかしい」と断固拒否して大きな口を開かず、「その代わり一生懸命歌うから許して」と違うかたちで頑張った。そもそも俺らが合唱を求めたわけではないからだ。
卒業する頃にはボーイソプラノがダンディ極まりないバリトンボイスに変貌したのは言うまでもない。
※旅立ちの日にがお気に入りだったのを思い出した。アレが歌っていて一番気持ちよかった。
美術部
これは中3くらいのときに入ったというか、勝手に参加してたんだ。
何人かで出入りし、余っている粘土をわけてもらってひたすらモアイ像を作って遊んだ。
顧問の先生も、嫌な顔せず迎えてくれたので居心地が良かった。後輩のお母さんだったのがちょうど良かったのかもしれないなあ。
高校受験直前まで顔を出して遊んでたな。ちなみに、この美術部には、3つの魔球を使いこなす卓球の名人がいて、卓球部の助っ人に駆り出されていた。(公式戦で2勝くらいあげてた記憶が……)
まとめ
今思うと何もしてない気がしていた中学時代だけど、意外といろいろやってたんだなあと思う。
こうして思い出すのに役立ちそうだから、たまに懐古記事を垂れ流してみよう♪
しかし、スポーツに関しては「野球」しかブログで記事を書かない俺が野球部じゃないなんてね。
この世に上下関係ってもんがなかったら、俺も野球部に入ってたかもしれない( ̄ー ̄)ニヤリ