雑記

サクセスモードがなかった頃のパワプロの楽しみ方

投稿日:2017年4月3日 更新日:

サクセスがなくても面白かったパワプロ

 

 

1990年代前半くらいに発売されたものだったと思う。たしか親父が買ってきたものだ。

 

野茂や伊良部も渡米前で、恐るべき剛速球やストンと落ちるフォークボールなどで幼き頃の俺や弟を喜ばせた逸品だ。

 

ちなみに本作では、まだサクセスモードは搭載されておらず、オリジナル選手の作成はできなかった。

 

 

 

 

兄弟間ドラフト会議プレイ

 

我々兄弟はドラフト会議を開いて、アレンジチームに入れる選手を競合したり、一本釣りしたりしながら作り上げていった。

 

俺は自分でも可哀想なくらい天邪鬼だったから、イチローや松井などは全部弟に一本釣りされながら、

 

「おっ、この選手は面白そうだな」とさも自分が発掘したような気分に浸りながら選手を指名していった。

 

オリックスの平井や近鉄の赤堀を一本釣りした俺は高笑いが止まらなかった。俺たちのドラフトには外国人選手も含まれていて、横浜のブラッグスや近鉄のブライアントは喉から手が出るほど欲しかったという記憶がある。

 

結局、弟がイチロー、松井秀、新庄という最強の外野陣を揃えつつ、3年連続20勝を記録した大投手斎藤雅樹や大魔神佐々木を獲得し投手陣を固めていく中、俺は平井、赤堀に加えて斎藤隆を獲得して投手のラインを整えながら、競合の末、味方にできたブライアントや清原、秋山を軸にチームを作り上げた。

 

 

 

しかし、対戦した記憶はほとんどない。

 

何故なら、大抵ドラフト会議を楽しんだら、結構な長丁場になってヘトヘトになってしまうからだ。それにゲームは1日1時間という鉄の掟もあった。

 

本来のゲームとしての楽しみ方は、幼い兄弟にはまだわからなかったといっていい。でも、楽しかったなあ。

 

 

 

-雑記

Copyright© 週刊トクシマ , 2024 All Rights Reserved.