これは大阪で専門学生をしているときのお話。
2010年12月某日――。
午前2時、近所に住むクラスメイトから「散歩しよ~」と連絡が入り、家を出る。
こうしたことは結構頻繁にあって、そのクラスメイトのおかげで大阪時代は休日も外に出ることが多かったように思う。彼の連絡がなければ、おそらく大半の休日をマンション内で過ごしてウダウダと無意味に消費してしまっていたことだろう。
午前2時過ぎ、合流。
商店街前で合流した俺たちは、日本一長いアーケード街とされる天神橋筋商店街を練り歩いた。こんな時間だと言うのに結構人とすれ違ったのを覚えている。「真夜中の水鉄砲大会」のときもそうだったが、ここは恐らく365日絶えず誰かしらは歩いていて、完全なる無人にはならないんだと思う。ずーっと電気もついてるし、24時間営業のお店(カラオケとか居酒屋さんとか)があるし。
かと言って明るい時間帯のように、たくさんの人々でごった返しているようなこともないから窮屈さがない。だから、俺たちはのびのびと歩き回った。
やがて商店街を抜け出し、顔を見合わせた。
「どこまで行く?」
「そーやなーアホみたいに歩いてみようか」
「よし、そうしてみよ」
そうして俺らはさらに北へ南へ、東へ西へと自由気ままに歩きまくったり、意味もなくダッシュしてみたりもした。
写真に残された記録によれば、午前3時45分ごろにダッシュしていたことになる。当時22歳。バカだけど元気いっぱいである。
この頃は意味もなく走り出したり、スキップしたり、箸が転んでもおかしいお年頃だった。
難波橋の獅子像を指差す、崖に落とされたまま上がってこられない若獅子こと俺。
当時は知らなかったけど、反対側に口を開けた「阿」の獅子像があって、この写真の獅子像は「吽」の方らしい。7年越しに発覚した事実。
若気の至り。中之島公園付近だったと思う。巨大な樹木に抱きつき、樹木の力強さを知って自分の非力さを痛感した瞬間。
ちなみにこの時の俺はまったくのシラフである。なんだったら3日くらい飲んでいなかったくらいである。
このあと、直接触れた手のひらが若干かぶれたのは気のせいだろう。
うろうろし続け、行き着くところはココ。扇町公園。
俺も友達も公園が大好きなのだ。だだっ広い公園は俺たちと「おうちがないおじさん」くらいのもので、独占。
「とりあえずさ、太陽に挨拶でもしておこう」ということで両手を広げ、ひざまずいている瞬間である。
ちなみにこの体勢、儀式はわりと面白がって頻繁にやっていたんだが、これをした翌日は「必ず晴れる」のであった。天気予報で降水確率が90%以上を差していても、それを覆して晴れていた。俺が自分の晴れ男要素に自信を持ちはじめたのはこの頃からである。
この頃くらいから俺は「てるてる様」を自称していたが、それを口にだすことはなかった。
ご陽気に歩きまわり、駆け回り、ヘトヘトになった俺たちは強烈な空腹を覚えた。それは無理のないことだった。何しろ10キロ近く歩いていたのだから。お腹がペコペコになった俺たちは商店街へと戻り、食い物を求めて再びさまよい歩いた。
結局、「ちょいとガッツリ喰っちまうか」と王将に入った。
午前5時前にこのボリューム。
やっぱりさ、しっかり喰って元気を充電しておかないと。
当然のように完食して帰宅し、ひと眠り。そして、当然のように登校し、友達と再会するのであった。
まとめ
こうして振り返ってみると、7年前の自分が尋常じゃなくタフであることを思い知る。
考えてみれば専門学生1年目はとにかく単位を荒稼ぎしようと無遅刻無欠席。どんなに朝までどんちゃん騒ぎをしても、友達と宅飲みしてても二日酔いのまま皆を連れて登校していたし、ほとんど体調を崩さなかった。夕方から翌朝までカラオケをして、そのまま学校へ行って、居酒屋行って朝帰りなんてバカな真似もしていたのに、平気だったもんなあ。年に1,2回40度近くの熱が出ても、喰って寝てれば全快した。
この頃には「ああ、バカは風邪ひかないってのは本当だなあ」と真面目に信じてたくらいだ。
よく遊び、よく喰らい、よく笑っていた。