十代の頃の俺にとって数学は「つまらないくせに時間を奪う悪魔」のような存在だった。
サイン・コサイン・タンジェントという謎の呪文。
3.14がπになったり3.14に戻ったりする謎のこだわり。
上に底がある意味不明な台形の存在。平行四辺形とか言う気味の悪いはんぺんの面積を強制的に求めさせたり、スケート代わりに履いて死ぬほど怒られたそろばんのトラウマだったり。
1問あたり25点の文章題×4問の小テストに対する恐怖心も計り知れない。
「考える算数」という見た目の薄さからは想像もできない難問の山をしたためた問題集。そこには考えうるありとあらゆる数字による責め苦が詰まっていた。
だが、三十路を迎えた今、俺の認識が大きく変わろうとしていた。
あれ? 誰だっけ? 数学、助けてくれ!
ここ半年くらいの間で、
人の名前、人の顔が思い出せなくなることが多くなった。
つい今さっき聞いたことが丸ごと記憶から消滅することが増えた。
その感覚が日増しに強くなっていくのに恐怖心を抱いた俺は、「いかん、このままじゃダメだ。何とかせんと」と一念発起。
そこで俺が助けを求めたのが、かつて俺を散々苦しめた怨敵「数学(算数)」。
何故、怨敵に助けを求めたのかといえば、「何よりも苦手で、何よりも大嫌い」な数学に無理矢理挑むことで、ありとあらゆる感情が揺さぶられると共に散々サボりまくったお陰で一般的にちょっとした問題を解くだけで新発見があって脳が活性化するんじゃねえかと考えたからである。
非常にバカみたいな理由だが、衰えた俺の脳みそではこれが限界なのだ。
暗算、暗算、雨、暗算
根っからの数字アレルギーなんだけど、
なんだかんだで一番効果を期待してるのが暗算だ。まずは頭の中で2桁×
それからアーサー・ベンジャミン「暗算の達人」を読みながら、
↑この3冊が俺にとっての「数学三種の神器」とも言うべき存在。
暗算は、頭のなかで何桁かの数字をいくつか同時に記憶して、足したり引いたり掛けたり割ったり、繰り上がったりするのをするということでしょ。難易度を自在に上げ下げ出来るのも良い。1桁、2桁の計算でも時間制限を厳しくしたら難しくなるし、単純に桁数を増やすのも面白い。
本当は本格的な数学の問題を解いてもいいんだろうけど、いきなり取り掛かったらジンマシンが出て病院送りになるだろうから今はまだ出来ない。
で、時々「コマ大数学科特別集中講座」を読んで「
いろんな方法で数字を使って頭を刺激したいから、
脳の衰えをどこまで食い止められるのか?
一度衰えた脳を元に戻すのは可能なのか、不可能なのか。
調べてみようかと思ったけど、やめた。もし「不可能」と書かれていたら「不可能なのか」と諦めてしまうような気がするからだ。
だから、ここはとりあえず出来る限りの手練手管で何とかしてやろうと考えている。
まずは自分の脳みその中で一番使われていないままの部分を強引に揺すり動かしてみるために「数学(算数)」をやってみよう。
それと「映画チラシの分析」を続けながら、とにかくありとあらゆる刺激を与えてやろうではないか。