そろそろ監督について語ろうと思う
野球をする上で重要な、監督という存在。
日本球界にも数多くの「名将」と呼ばれた優れた監督がたくさんいる。
「ID野球」「ぼやき節」で知られるノムさんこと野村克也。
「闘将」と呼ばれ楽天を初の日本一に導いた星野仙一。
8度のリーグ優勝を果たしながら、一度も日本一になれなかった悲運の名将・西本英雄。
前人未到の∨9を達成した「打撃の神様」川上哲治。
優勝回数11度を誇る「鷹の親父」鶴岡一人。
イチローを見出した男・仰木彬。
他にも、古葉竹識や森祇晶など、挙げればきりがないほど、いろいろなビッグネームが飛び出してくる。
だが、もっとも忘れてはならないふたりの監督がいる。今回はそのふたりについてダラダラ語ってみようと思う。
魔術師VS勝負師
だが、忘れちゃならないのは三原脩監督と水原茂監督の存在ではないだろうか。
ふたりは共に香川県出身で、学生時代からのライバル同士であり、プロの監督となった後でもその因縁めいた関係性が続いていく。
実際に三原・西鉄と水原・巨人が日本シリーズで対戦することになった際には「巌流島の対決」と言われたほどだそうだ。
さて、どちらが宮本武蔵で、どちらが佐々木小次郎なのか。
大勝負の決着を見てみれば、鉄腕・稲尾和久の4連投4連勝で土壇場で水原・巨人から日本一をかっさらった三原・西鉄が宮本武蔵といえるようだ。通算勝利数も1687勝と、水原の1586勝よりも約100勝多い。ただし、通算勝率に関しては水原の方が4分ほど上回っている。ひとつひとつを注視していくと、甲乙つけがたい感じになってくるね。
それに三原と水原では監督歴の長さが違うから、一概にも言えない気がするんだよなあ。(三原27年、水原21年)
三原監督の采配
三原監督は「打撃」「走塁」「守備」など各部門ひとつ秀でた選手を好んで起用した。
欠点よりも優れたところに着目した感じと言ったところだろう。
俺もパワプロなどの野球ゲームでアレンジチームを作成する際は、この三原監督的な感覚でやっているふしがある。
また「運(ツキ)」を重要視する直感的な采配も面白い。しかも、それが見事に当たるのだから、たとえ本人が嫌がろうとも皆「三原マジック」「魔術師」と呼びたくなるだろうと納得してしまう。「野球は筋書きのないドラマである」という今ではよく使われるフレーズを残した(?)とされている。
水原監督の采配
水原茂監督は「血も涙もない」「非情采配」とまで言われるほど徹底して勝利を追求した「勝負師」だった。
浪商の豪腕投手だった尾崎行雄を中退させて獲得したり、主砲だった張本勲にも容赦なく守備固めの選手に交代させたりした。
しかし、その一方で、連投を直訴し敗れてしまった若かりし星野仙一を熱く温かく励ましたり、自らの采配による酷使で選手生命を縮めてしまった堀本律雄に対して直接言葉で詫びを入れるなど、情に厚い面も持ち合わせていたようである。
ふたりのドラマチックな歴史を書いた本があるというので、近いうちに読んでみたいと思う。