品行方正とは真逆な俺であるが、芸術的なことに興味がある。
子どもの頃は絵を描くのが好きだったし、美術の授業も結構好きだった。もちろん絵画を眺めるのも好きだ。
かと言って、ウンチクを語れるほど知識があるわけではない。ただ「この絵好きだなあ」と感覚的に好みであるかどうかを分けられる程度だ。
完全なる素人ゆえに、好きな画家陣は実にオーソドックスというか有名人ばかりだ。
ピエール=オーギュスト・ルノワール
ルノワールの裸婦画を眺めていると、「ルノワールとは女性の好みについて語り合えそうだな」と本気で思える。女性的な丸み。穏やかさ。柔らかな色味。眺めていてホッとする何かがある気がする。その何かを具体的に説明しろと言われても出来ない。ただそう感じるだけである。
「眠る裸婦」はとくに好きだ。生のままの果物みたいな女性の描き方が何ともステキだと思うんだけど、目のこえた人たちにはどういう風に見えてるんだろう。
アンリ・マティス
マティスの「赤い調和」っていう絵も、エピソードを聞いて面白いと思った。タイトルが指し示すとおり、全般的に赤、赤、赤で描かれているんだけど、もともとは緑で塗りたくられており、さらにその上を青で塗りつぶしてから、赤を縫ったという。絵の中にある窓の外に広がる草原と空の緑と青なのかなと想像してみる。
そういう回りくどいような表現方法も、本人からすればとても重要なことで、特別回りくどいことでもないのかもしれない。そもそも芸術を理屈で捉えたらダメなんだろうなと思わされたひとり。
サルバドール・ダリ
ダリに関しては、絵がどうこうの前に人物的に惹かれるところがある。
「天才・ダリ」を自ら演じていたところが実に人間味があるんだけど、「そもそもアンタはド天才じゃねえか」というツッコミを入れることも出来る。天才なのに人間味というか憎めない無垢さは、とある天才芸人であり、映画監督でもある人物にも似ている気がする。また、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンにも似てるんじゃないかな。
俺は、自分以外の何かを演じる人に強烈な親近感を覚える。同時に「でも、彼らは本当の天才なんだ」と強烈な疎外感も覚える。
ダリといえば、チュッパチャプスの色鮮やかなロゴマークのデザインをしたり、髭を水飴でかためてみたり、やたら飴と関わりのある画家である。
まとめ
いざ記事を書いてみて再確認できたのが、「芸術について語るには最低限の知識が必要である」ことと「その最低限の知識が自分には大きく欠如している」ことだった。
それがわかっただけでも収穫ありだな。いやあ、書いてみて良かった。
やっぱり四の五の言わずに感じるがままでよろしいんだとも思ったなあ。全然語れなくて笑ってしまった。
次はどんな不相応なテーマについて書いてみようか。未だに着手出来ていない「ちょっと太った?」は言いやすいのに、「ちょっとハゲた?」は言いづらいのは何でだろうについての論文? とにかく書いてみたいことがいっぱいだ。