子どもの頃を思い返すと、「あれは何だったんだろ」と思うようなことがたくさんある。
今回はその中でも特に不思議だった「ヌードル様」について語ってみようと思う。
Tちゃんと言ふ男
あれは小学4年か5年の頃だったように思う。
同じクラスにTちゃんという、クラスの人気者で男子の頼れるリーダーがいた。
Tちゃんは今振り返ってみても面白い発想をする子だった。
小学3年の頃に彼の自作のマンガ「ミッ◯ーが◯しにやってくる」というのを読ませてもらったときは、心底ゾッとした。
内容と彼の物語づくりの才能と、その両方に戦慄が走ったのだ。今思えばスティーブン・キング的な内容だった。
今でも俺はTちゃんを尊敬しているし、天才だと思っている。
また、弟も当時を振り返り、「Tちゃんって妙にカリスマ性があったよな」と言うことがある。
ヌードル様、ご降臨
それはさておき本題の「ヌードル様」だ。
ある時、Tちゃんはクラスの男子全員に「昼休み、我が校の御神体のお披露目会をするので旧校舎裏に集まるように」と言って回った。
もうこの段階ですでに色々と可笑しいんだけど、10歳やそこらの俺たちは早く昼休みがこないか待ち遠しくて仕方がなくなっていた。
国語の授業も、算数の授業も、社会の授業も、大好きな体育も、どこか上の空。「ゴシンタイって何だろう」そればっかり考えていた。
男子は皆、それぞれ自己最速で給食をかき込み、いそいそと旧校舎裏へと走った。Tちゃんは一足先に教室を飛び出していたように思う。彼は何をするにも疾風迅雷なのだ。きっと皆、Tちゃんのそういうところにも痺れて憧れていたのだろう。
俺たちが旧校舎裏へいくと、そこにはお湯を入れたまま放置され、伸び放題になったカップヌードルがポツンと置かれてあった。不自然なほど中身が飛び出したラーメンは、まるで自分の意思で外気に触れようと足掻いたかのような躍動感を思わせた。おそらくTちゃんの仕業だろう。つまり、彼の言う「ゴシンタイ」とはコレのことだ。
奇妙なカップヌードルを前に、俺たちが困惑しているとTちゃんが背後から笑いながら現れた。楽しそうにカッパーフィールドの真似をする超大御所芸人のような豪快な笑い方だった。そして、Tちゃんは言った。
「皆の者、頭が高い。我が校の御神体『ヌードル様』の御前であるぞ。跪けい、跪け―い」
その芝居がかった口調に、俺たちは乗っかるカタチでカップヌードル改め「ヌードル様」に跪いた。
そして、Tちゃんの「もくとーう」のひと言によりそれぞれ目を閉じ、黙祷を捧げた。
それは傍から見ると異様な光景だったに違いない。ひと気の少ない旧校舎の裏で、世界一の販売数を誇るカップ麺界の王様に、跪き、黙祷を捧げる小学生集団。ヘンテコな組織の出来上がりである。きっとTちゃんはその様子を眺めながら、満足そうに笑っていたことだろう。
1,2分間の黙祷を終えると、Tちゃんはこんな提案をした。
「ヌードル様は孤独がお嫌いだ。だから、毎日こうして皆で会いにきてあげるぞよ」
こうして、俺たちのクラスに珍妙な日課が出来た。
ところが……。
忘れ去られていくゴシンタイ
子どもというのは実に好奇心旺盛な生き物だ。
その柔軟性に富んだ感性で様々なものを肯定的に受け止めることが出来る。
たとえそれが単なる伸び放題になったカップ麺であっても、持ち前の想像力や空想力で素晴らしいナニかに仕立て上げることも可能なのである。
だが、その好奇心の強さは流行り廃りの流れを高速にしていくものでもあるわけだ。
デジモン。ハイパーヨーヨー。ビーダマン。ヤキュウマン。ヨーカイザー。遊戯王。
ありとあらゆる流行が、シャボン玉のようにたくさん生まれては弾けて消えていったあの頃だ。
食べられもしないカップ麺に、子どもがいつまでも興味を持っていられるはずがなかった。
やがて、巡礼に訪れるクラスメイトは一人減り、二人減り……。日に日に減っていった。
俺も正直、3日目には飽きていたんだけど、「もしかしたら何かテコ入れがあるかもしれない」と期待して巡礼を続けていた。
何しろ仕掛け人はあのTちゃんである。何もないわけがない。そう踏んでいたのだ。
あっけない幕切れは突然に
しかし、1週間経っても、10日経っても何も起こらない。ただヌードル様が変色し、日増しに強力な異臭を放つようになっていく一方だった。
そこら辺で俺は気づいてしまった。
「あっ! 初日以降Tちゃん来てねえ!」
と。Tちゃんは俺たちにヌードル様を紹介した後は一切ヌードル様について言及していない。
やられた。俺はそう思った。Tちゃんはオーソドックスを嫌う。形式を嫌う。「常に同じカタチであるとは限らねえぞ」と行動パターンを変えていくのだ。
自分の認識の甘さを恥じ入って、ヌードル様の前で肩を落としていると、後ろから「こらっ、お前か!」と怒った大人の声がした。
振り返るとそこにはゴム手袋とマスクを装備し、ビニール袋を持った用務員さんが立っていた。
「え?」
「お前がこれを置いたんだな?」
「あの、いや……」
「これをやるから、ちゃんと片付けておけよ」
そう言って用務員さんはビニール袋を俺に手渡し、「ったく」と去って行ってしまった。
思わぬカタチでヌードル様の後処理を任されることになりながら、俺は「物事の流行り廃りの速度」と「世の中には理不尽なこともあるのだ」ということを深く、強く学んだのであった。このように、Tちゃんにはたくさんのことを学ばせてもらったのである。