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大麻比古神社に立ち寄り鳴門とドイツの関係に思いを馳せる三十路男

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大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)って言うデカイ神社がある。元旦に行こうものなら、たちまち凄まじい渋滞に巻き込まれてしまう有名な神社だ。

今や死語になりつつあるパワースポットとしても知られているらしい。

元旦にしか行ったことがなく、人混みが過ぎてゆっくり観て回ったことがない。なので、何でもないこのタイミングで色々観てみることにした。

広い駐車場に車を停めて、いざ参る。

ちなみにこの駐車場は午前8時から午後4時までしか停められない。ご注意を!

ふらふら歩いてくと、

お洒落狛犬

巨大な御神木「楠」

高さは22メートル、目通りは8.2メートルもある。かなりの年月をかけて大きくなったのだろう。→樹齢は1000年ほどらしい!

至近距離で見た感じ。

ごつごつしてデカイでしょ。

御神馬(ごしんめ)

本殿?

その横を通ってくと、裏側にあるスポットに続く。目的は「ドイツ橋」と「めがね橋」だ。

めがね橋

めがねを模したような橋。

メガネおじさんとしては絶対に外せないポイントだったね。

これは第一次世界大戦時に捕虜となったドイツ兵たちが造ってくれた橋。

ドイツ橋

そして、この「ドイツ橋」も当時のドイツ兵が造ってくれた橋のひとつ。

かなり貴重なものなので渡ることは出来ない。

祓川橋(はらいかわばし)

真っ赤でよく目立つ橋。

鳴門とドイツの関わり

大麻比古神社といい、ドイツ館といい、板東収容所といい、鳴門は古くからドイツと関わりがある。

第一次世界対戦時に鳴門(板東)には、ドイツ兵の収容所があった。その収容所の松江所長は「捕虜たちの自主活動を奨励」し、捕虜としてというよりも人として対応したという歴史がある。
なんでも地域住民との関係も極めて良かったらしい。

また、捕虜となったドイツ兵たちの多くは元々パン屋さんや鍛冶屋、建築家や時計職人だったりした民間人だったそうで、彼らはドイツの高い技術や知識を存分に生かして、たくさんのことを日本に教えていってくれたという。

そのうちのひとつが、さっき紹介したドイツ橋と眼鏡橋。ドイツの建築技術を駆使して、ドイツ兵たちが帰国前に記念に造ってくれた友好の証なのである。
(内面で180個、全体で3000個の石が使用されており、その重さは195トンになる。 byウィキペディア)

また近場の公園には「ドイツ兵慰霊碑」があるのでご紹介。

慰霊碑

製パン所跡地

第2給水施設

ICOみたいな世界観に早変わり。

売店付属便所

第1給水施設

こういう慰霊碑とは違った趣の歴史的に価値のありそうな建造物にめちゃくちゃ接近して、何だったら触れることが出来る距離に近づけるスポットもあるということもご紹介しておこう。

ドイツ兵の慰霊碑と大麻比古神社は同じ通りを軸に向かえるので、気になる方は行ってみるといい。ちなみに俺の大好きな道の駅 第九の里も同じ通りにある!

観光中にふらっと散歩するのにもちょうどいい感じだ。

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