2011年に閉園した吉野川遊園地。今となっては、跡形もない遊園地。

閉園から14年が経過した2025年現在、その跡地には医療センターがそびえたっている。ずいぶん思い切ったイメージチェンジではないか。
時代の流れとともに姿かたちが変わっていくのは、人間だけではないと言うことかもしれない。
さて、旧麻植郡生まれ吉野川市生まれの人間として、徳島県をアーカイブしていく人間として、決して無視してはいられないスポットのひとつが、この吉野川遊園地(古くは江川遊園地と呼ばれていた)だった。
ただ、これまでは写真が手元になかったため、気分が乗らず、記事を書いていなかったわけだ。
でも、このたびひょんなことから自宅の外付けハードディスクから複数枚の写真が出てきたので、こうして記事を書くことにした。
とはいえ、そんなに詳細な情報があるわけではないことをあらかじめ記しておく。
ただ、「吉野川遊園地というスポットがありました」という、そういう記事である。
追憶の吉野川遊園地

吉野川遊園地に遊びに行ったのは、おそらく小学5,6年生のころまでの数回にすぎないように思う。
俺自身があまりテーマパーク的な場所にテンションの上がらない子どもだったということもあり、地元にありながらほとんど遊びに行っていないのである。
だが、少ないなりに思い出はある。
たとえば、園内には大きな池があって、その近くに鯉のエサを売る自販機があったように記憶している。もはや記憶は曖昧だが、100円くらいで、30センチくらいの麩菓子みたいなものが買えたように思う。それをちぎって、池の鯉にぽいぽいプレゼントして楽しんだことを覚えている。

また、生まれて初めてジェットコースターに乗ったのも吉野川遊園地だったし、たぶん観覧車もここが初めてだったと思う。
観覧車で忘れられないのは、乗り込んだときに蜂の親子と相乗りとなったことだ。密室でぶんぶんハネを鳴らす蜂たちに怯えながら、一周するのを「今か、今か」と待ちわびたことは明確に覚えている。
あと覚えているのは、赤い鯉か金魚みたいな、二足歩行のキャラクターが吉野川遊園地におけるミッキーマウスみたいな存在だったような気がする。
残念ながら、俺が入手した写真にそのキャラクターは確認できなかったが、他の方のブログやサイトでは確認することができた。
14年越しに知りえた情報

今回記事を書くに当たって、ネットで調べてみたところ、新たにわかったことがある。
まず、吉野川遊園地が、とくしま88景に選出されていたこと。
そして、1997年に完成した観覧車は、当時四国一の大きさを誇ったこと。
それから、吉野川遊園地の新たなマスコットキャラクターとして、ヨッピー、ピッピ―が誕生し、閉園後に吉野川市のマスコットキャラクターに転職したことなどである。
最後のヨッピーとピッピ―の話は、言われてみれば、当時ニュースか何かで知ったような気がするが、とくしま88景や観覧車の話はまったく知らずに驚いた。

そうそう、いろいろ調べているうちに、閉園直前に吉野川遊園地を訪れ、園内の写真と共に思い出をつづっている方がいらっしゃるのを発見した。
許可を得ていないため、リンクは貼れないが、検索をかけるとすぐに出てくるので気になる方はご覧いただければなと思う。かなりたくさんの写真があり、懐かしめること間違いなしである。
ちなみに、吉野川遊園地が閉園したのは、2011年8月31日。14年前の今日である。
ちょっとした追悼みたいな気分で当記事を更新した次第である。合掌。
おわりに
今回思ったことは、「なんでも写真を撮って残しておくものだな」ということだ。
今、現在は何てことのない、当たり前の日常であっても、数年後には当たり前の日常ではなくなっていることが多々ある。
いつまでもあると思うな親と金。いつまでもあると思うな故郷の景色。