雑記

少年期の断片的な記憶がそこそこ大きく蘇ったのでメモ

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喜怒哀楽の乏しい少年期だったと自覚しているが、それでも面白かった遊びに関する記憶は残っているものだ。

俺が住んでいた地域は小学校の生徒の50%以上が住んでいたこともあり、子どもだらけだった。最初は2,3人で遊んでいても、知らずのうちに4人、5人と増えていき、最終的には数十人規模で駆け回っている、なんてことも何度もあった。

 

そこにはいろんなヤツらがいて、母子家庭や父子家庭の子もいれば、生まれつき足が不自由な子もいたし、今思うと「自閉症だったんだろうな」って子もいた。そういった違いを認識はしていたものの、一緒に遊ぶうえでは何の問題もなかった。あえて乱暴な言葉を選ぶなら、それぞれの事情など知ったことではなかったというのが正直なところだった。ただ一緒に遊んで、バカ笑いして駆け回ってれば大満足だったからだと思う。

 

 

 

一度、「すれ違うヤツらに片っ端から声をかけたら何人集まるか」というのに挑戦したことがある。最終的に25人くらい集まって、全員を自宅に連れ帰ったら大変なことになった記憶がある。別に拘束してるわけじゃないから、みんなが自由に出入りするわけなんだけど、とうとうちゃんと数え切れないままタイムリミット(門限5時)を迎えたっけな。でも、面白かった。一番小さいのが誰かの弟で幼稚園児。一番上が誰かの兄ちゃんで中学2年生だった。だけど、集めたは良いんだけど、別に何をするつもりもなかったんで結局、ボンバーマンやってお終いだったな。(昔からそうなんだけど、俺はひとりで何かすることと同じくらいワーっといっぱい人を集めて何かするのが大好きだった)

 

 

また、別の機会ではあるけど、人数が2桁を超えれば、超大人数によるサッカー大会をやった。団地A棟とB棟の間に広がる芝生の広場全体を利用した全力サッカーだ。靴を履こうが、裸足で駆け抜けようが自由。怪我は自己責任だけど、小さい子の怪我の場合は全員で周囲の大人に助けを求めるみたいな暗黙のルールがあった。

 

また、竹やぶを利用して秘密基地を皆で作ったことがあったが、大規模すぎて全然秘密にならなかったのでやめたっけな。

 

 

それから、虫捕りも魚捕りもやった。基本は網を使ってたんだけど、そのうちに面倒くさくなって素手。何でもかんでも素手で捕ってた。フナもドジョウもカエルもナマズもザリガニもヨシノボリもメダカも素手。ザリガニに関しては住処らしき泥に潜り込み、腕を突っ込んで強引に引きずり出して捕まえていたな。あと、家から1キロくらい離れた坂の上に尋常ではないほど濃厚な樹液を発する樹があって、そこで大量に甲虫が集まってて捕まえた記憶が蘇ってきた。

 

あと伯父さんが遊んでくれるときは、もっと面白かった。従兄(伯父さんの子)や従兄の友達数人に俺と弟も混じって山にクワガタ探しに入ったり、魚をモリでつきに行ったりした。伯父さんは古銭や化石なんかにも詳しかったから、いろいろ遊びながら教えてもらった。

 

そういった諸々の記憶だけを辿っていけば、俺の少年期はそこそこ面白かったんだと再認識。それ以外の記憶が苦痛以外の何物でもないから埋もれがちだが、友達や伯父さんたちとのちょっとした冒険みたいな記憶は、のちの俺の人格形成に大きく関係しているような気がしないでもない。

 

 

 

 

 

 

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