徳島の神社仏閣 徳島県民による徳島観光 文化 鳴門

大麻比古神社に立ち寄り鳴門とドイツの関係に思いを馳せる三十路男

投稿日:2018年10月25日 更新日:

祓川橋(はらいかわばし)

真っ赤でよく目立つ橋。

鳴門とドイツの関わり

大麻比古神社といい、ドイツ館といい、板東収容所といい、鳴門は古くからドイツと関わりがある。

第一次世界対戦時に鳴門(板東)には、ドイツ兵の収容所があった。その収容所の松江所長は「捕虜たちの自主活動を奨励」し、捕虜としてというよりも人として対応したという歴史がある。
なんでも地域住民との関係も極めて良かったらしい。

また、捕虜となったドイツ兵たちの多くは元々パン屋さんや鍛冶屋、建築家や時計職人だったりした民間人だったそうで、彼らはドイツの高い技術や知識を存分に生かして、たくさんのことを日本に教えていってくれたという。

そのうちのひとつが、さっき紹介したドイツ橋と眼鏡橋。ドイツの建築技術を駆使して、ドイツ兵たちが帰国前に記念に造ってくれた友好の証なのである。
(内面で180個、全体で3000個の石が使用されており、その重さは195トンになる。 byウィキペディア)

また近場の公園には「ドイツ兵慰霊碑」があるのでご紹介。

慰霊碑

製パン所跡地

第2給水施設

ICOみたいな世界観に早変わり。

次のページへ >

-徳島の神社仏閣, 徳島県民による徳島観光, 文化, 鳴門

Copyright© 週刊トクシマ , 2025 All Rights Reserved.