祓川橋(はらいかわばし)

真っ赤でよく目立つ橋。
鳴門とドイツの関わり
大麻比古神社といい、ドイツ館といい、板東収容所といい、鳴門は古くからドイツと関わりがある。
第一次世界対戦時に鳴門(板東)には、ドイツ兵の収容所があった。その収容所の松江所長は「捕虜たちの自主活動を奨励」し、捕虜としてというよりも人として対応したという歴史がある。
なんでも地域住民との関係も極めて良かったらしい。
また、捕虜となったドイツ兵たちの多くは元々パン屋さんや鍛冶屋、建築家や時計職人だったりした民間人だったそうで、彼らはドイツの高い技術や知識を存分に生かして、たくさんのことを日本に教えていってくれたという。
そのうちのひとつが、さっき紹介したドイツ橋と眼鏡橋。ドイツの建築技術を駆使して、ドイツ兵たちが帰国前に記念に造ってくれた友好の証なのである。
(内面で180個、全体で3000個の石が使用されており、その重さは195トンになる。 byウィキペディア)
また近場の公園には「ドイツ兵慰霊碑」があるのでご紹介。
慰霊碑


製パン所跡地


第2給水施設


ICOみたいな世界観に早変わり。
