ちょっと完全なる雑記を。
オカルトめいたこと、不思議なことは大好物だ。
でも、それはあくまでも単なる好奇心に過ぎない。ただ単純に「不思議だなあ」と首を傾げながら、空想をふくらませるのが好きなだけなのだ。
だから、根拠もへったくれもない。ただ「不思議だなあ」と首を傾げる自分がいれば成立するのである。
幽霊はいるかと問われれば、「わからない。いたら怖い気がする」としか答えようがないし、UFOはあるかと問われれば「UFOは未確認飛行物体のことだから、宙を飛んでるもので確認できないものは全部UFOなんじゃないっすか」と手垢のついた返事をするだろう。
頭のよろしくない俺としては、「好き」に大した理由がないことが多い。強いて言うなら不思議に身を委ねてみることで面白い画が思い浮かぶことがあるので、それが楽しいのを知ってるから好きだと言えばいいだろうか。
もし、徳島県内で語られる「◯◯論」「◯◯説」がすべて正しいと仮定しながら想像してみると、結構面白いことがわかる。
たとえば、
卑弥呼がいたことになるし、キリストもいたことにもなる。
剣山には行方知れずのソロモンの秘宝が隠されているし、それは徳島にやってきた古代イスラエル人が持ってきたのかも知れない。
その一方でソロモンの秘宝は神山町に隠されているとも言われている。ソロモンの秘宝は全部で3つあるから、それぞれバラバラにわけてカンカンに入れて隠しているのかも知れない。
また安徳天皇から賜った宝剣も隠されている。
また、平家の落人もいたし、また源義経と弁慶もやってきたことになる。
これが全部「そう、正解!」と言い切る根拠を出すことも、「いや、違う!」と言い切れる根拠を出すことも、俺には出来ない。
もともと日本史や世界史を面白がりこそすれども、
「でも、俺が実際に見て確かめられるもんじゃないから、本当か嘘かわからんやん。『こういう文献がありますのや』『こういう遺跡があって、こういうものが見つかってますのや』と言われても、真実なのか、いかにもそれっぽい嘘なのか、何なのかわからへんやん。仮に俺が当時の人だったら、『私は筋骨隆々の大男で絶世の美男子。富も名声もすべて得し者なり』と大嘘の文献を残したかもしれん。そんな人が混じってないと言い切れるわけないもん」
とひねくれ坊主全開だった俺だ。基本的に自分で確かめてないものは一切信じられない性格なのだ。
だけど、「全部本当だとしたら、めちゃくちゃカオスで何だか楽しくて面白い」と思うことなら出来る。
何だったら「こっそり無根拠の適当な新しい説を紛れさせたら、もっとごちゃ混ぜになって楽しいかもな」というイタズラ心も沸き起こってくる。
ちょっと色んなところを巡るついでに、手作りの怪しい碑石を置いてまわろうかな。ミステリーサークルもこんなノリで作られ始めたのかもしれない。
と、まあ別に何ってわけでもないとりとめのない雑記。ちょっとネタぎれー。