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【短編小説】かずら橋【徳嶋ダイスケ作】

投稿日:2021年5月6日 更新日:

かずら橋 

 自分で言うのも恥ずかしいが、私は今時珍しい厳格な父親だった。


 自分の親父が気弱で、いつもお袋の尻に敷かれているのを見て情けなく思っていた反動なのかもしれない。


 とにかく娘や息子に対しては微塵も隙を見せまいと努力を重ね、「威風堂々の親父」として接してきた。運動会が迫れば、保護者対抗リレーに合わせて密かに特訓をし、いざ「勉強を教えて欲しい」と頼まれたときのために勉強をするとともに塾の講師をしている甥っ子に頼んで、教え方の勉強もしている。


それほど徹底して「完全無欠の親父」「威風堂々の親父」を演じてきた。

 時折、妻の尚美は「無理し過ぎなんちゃうん?」と心配してきたが、父親というのは子どもの手本であり続け、尊敬され続けなければならない存在なのだ。


 その信念を変えるつもりは毛頭なかった。


 だが、それも十年目にして終焉を迎えようとしていた。


 私は愛車のワゴンRのハンドルを握りながら、心の中で大きなため息をついていた。助手席の尚美は何も言わずに窓の外を眺め、後部座席では十歳の長女・幹子と八歳になったばかりの長男・武が何やら言い合いの口げんかをしていた。


 私の運転する車に乗りながら、子どもたちが口げんかをするなど、今までなら言語道断だった。たとえ喧嘩しそうな雰囲気になったとしても、私が一瞥するだけで強制的に終わらせてきた。


 それほど私は一家の大黒柱として、絶対的な存在だったのである。


 しかし、今はそれをする気力もなく、子どもたちは遠慮なく口げんかをしているし、尚美はそれを放置してぼんやりと外を眺めている。

 これには理由があった。


 今から遡ること三時間前のことだった。


 私たち一家は尚美の実家がある西祖谷を訪れていた。優しい義父母に、陽気な義弟、仲良しの従兄たちに遊んでもらって大はしゃぎの幹子と武。誰に吹き込まれたのか知らないが、「お父さん、かずら橋見てみたい」とせがみはじめたのである。


 祖谷のかずら橋といえば、徳島県屈指の名所だ。毎年大勢の観光客が訪れ、外国からやってくる方も多いと言う。
しかし、私は気乗りせず、「うむ、しかし、少し遠いけんなあ」とつぶやいた。


 それを聞いた義弟が、
 「兄さん、何言うとんで。こっからやったら車で二十分くらいで行けるで。すぐ行けるって」
 と余計なことを言った。


 尚美も尚美で、「そうよ。何なら私も運転するけん」と何故かやたらノリノリだった。さらに義父の「ほれ、清さん、連れってやりぃ」という後押しに、渋々祖谷のかずら橋へ行くことになってしまったわけである。


 私がかずら橋に行くことをごねたのは、別に運転距離を気にしたからではない。
 かずら橋の存在そのものが問題だったのだ。


子どもたちは当然として、妻である尚美にさえ隠していたのだが、実は私は超ド級の高所恐怖症だったのである。


 幽霊や妖怪と言った類も、蜘蛛や蛇などの生物も、狭いところも暗いところも、背中にカラフルで厳めしい画の入った人たちも、まったく怖くないのだが、高いところだけはどうしても恐ろしくてたまらないのだった。想像するだけで震えるほどに怖いのである。

 これまでも家族にバレそうになったことは何度もあった。


 遊園地などはその筆頭で、観覧車もジェットコースターも、「そんなものは子どもの乗り物だ」と強引な理屈で断固拒否して辛うじて乗り切った。


 しかし、かずら橋にいけば、渡らないわけにはいかない。
 かずら橋は高さ十四メートルもある。


 十四メートルといえば大体四階建ての高さくらいだろうか。冗談ではない。私は二階建てのベランダに立つのでさえ勇気を振り絞らねばならないのだ。


 かなり憂鬱な気分で運転し、義弟のいうとおり二十分程度で駐車場に到着してしまった。配置された小さなバケツのなかに駐車料金三百円を入れ、思わず手を合わせてしまう。これから体験するであろう恐怖に対する思いが、無意識のうちに神仏へ気持ちをすがらせたのかもしれない。


 それを見た尚美が、
 「あなた? お賽銭じゃないんよ? 何しとん?」


 と言っておかしそうに笑った。子どもたちも珍しく私がすっとぼけたことをしたので、小首をかしげて不思議そうに眺めていた。

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