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【短編小説】かずら橋【徳嶋ダイスケ作】

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俺が書いた短編小説が「同人誌 飛行船 27号」に載せていただいた話は前に書いたとおり。

このたび飛行船の会から「発売後なので、自分の小説ならブログに載せてもOK」との了承を得ることが出来た。なので、「かずら橋」という短編小説を載せてみることにする。

万が一、「おい、俺はちゃんと本屋で飛行船買って読んだのに、それはねえだろ!」という方がいるかもしれない。その場合は「どっかで待ち合わせて、俺が昼飯を奢る」など何かしらの形で詫びることにしよう。遠慮なくコメント欄やメール、TwitterのDMなどで文句を言ってくれ。絶対に約束は守るから。

さて、万が一のケースに備えて、しっかり万全なる保険をうったところで我が子ともいうべき小説を全文掲載しよう。若干ブログで読みやすいよう、編集はしたけど、基本的にはそのまま載せるのでご安心を。

それでは、短編小説「かずら橋」どーぞ。

かずら橋 

 自分で言うのも恥ずかしいが、私は今時珍しい厳格な父親だった。


 自分の親父が気弱で、いつもお袋の尻に敷かれているのを見て情けなく思っていた反動なのかもしれない。


 とにかく娘や息子に対しては微塵も隙を見せまいと努力を重ね、「威風堂々の親父」として接してきた。運動会が迫れば、保護者対抗リレーに合わせて密かに特訓をし、いざ「勉強を教えて欲しい」と頼まれたときのために勉強をするとともに塾の講師をしている甥っ子に頼んで、教え方の勉強もしている。


それほど徹底して「完全無欠の親父」「威風堂々の親父」を演じてきた。

 時折、妻の尚美は「無理し過ぎなんちゃうん?」と心配してきたが、父親というのは子どもの手本であり続け、尊敬され続けなければならない存在なのだ。


 その信念を変えるつもりは毛頭なかった。


 だが、それも十年目にして終焉を迎えようとしていた。


 私は愛車のワゴンRのハンドルを握りながら、心の中で大きなため息をついていた。助手席の尚美は何も言わずに窓の外を眺め、後部座席では十歳の長女・幹子と八歳になったばかりの長男・武が何やら言い合いの口げんかをしていた。


 私の運転する車に乗りながら、子どもたちが口げんかをするなど、今までなら言語道断だった。たとえ喧嘩しそうな雰囲気になったとしても、私が一瞥するだけで強制的に終わらせてきた。


 それほど私は一家の大黒柱として、絶対的な存在だったのである。


 しかし、今はそれをする気力もなく、子どもたちは遠慮なく口げんかをしているし、尚美はそれを放置してぼんやりと外を眺めている。

 これには理由があった。


 今から遡ること三時間前のことだった。


 私たち一家は尚美の実家がある西祖谷を訪れていた。優しい義父母に、陽気な義弟、仲良しの従兄たちに遊んでもらって大はしゃぎの幹子と武。誰に吹き込まれたのか知らないが、「お父さん、かずら橋見てみたい」とせがみはじめたのである。


 祖谷のかずら橋といえば、徳島県屈指の名所だ。毎年大勢の観光客が訪れ、外国からやってくる方も多いと言う。
しかし、私は気乗りせず、「うむ、しかし、少し遠いけんなあ」とつぶやいた。


 それを聞いた義弟が、
 「兄さん、何言うとんで。こっからやったら車で二十分くらいで行けるで。すぐ行けるって」
 と余計なことを言った。


 尚美も尚美で、「そうよ。何なら私も運転するけん」と何故かやたらノリノリだった。さらに義父の「ほれ、清さん、連れってやりぃ」という後押しに、渋々祖谷のかずら橋へ行くことになってしまったわけである。


 私がかずら橋に行くことをごねたのは、別に運転距離を気にしたからではない。
 かずら橋の存在そのものが問題だったのだ。


子どもたちは当然として、妻である尚美にさえ隠していたのだが、実は私は超ド級の高所恐怖症だったのである。


 幽霊や妖怪と言った類も、蜘蛛や蛇などの生物も、狭いところも暗いところも、背中にカラフルで厳めしい画の入った人たちも、まったく怖くないのだが、高いところだけはどうしても恐ろしくてたまらないのだった。想像するだけで震えるほどに怖いのである。

 これまでも家族にバレそうになったことは何度もあった。


 遊園地などはその筆頭で、観覧車もジェットコースターも、「そんなものは子どもの乗り物だ」と強引な理屈で断固拒否して辛うじて乗り切った。


 しかし、かずら橋にいけば、渡らないわけにはいかない。
 かずら橋は高さ十四メートルもある。


 十四メートルといえば大体四階建ての高さくらいだろうか。冗談ではない。私は二階建てのベランダに立つのでさえ勇気を振り絞らねばならないのだ。


 かなり憂鬱な気分で運転し、義弟のいうとおり二十分程度で駐車場に到着してしまった。配置された小さなバケツのなかに駐車料金三百円を入れ、思わず手を合わせてしまう。これから体験するであろう恐怖に対する思いが、無意識のうちに神仏へ気持ちをすがらせたのかもしれない。


 それを見た尚美が、
 「あなた? お賽銭じゃないんよ? 何しとん?」


 と言っておかしそうに笑った。子どもたちも珍しく私がすっとぼけたことをしたので、小首をかしげて不思議そうに眺めていた。

 そこからの道のりは、まるで処刑台へと向かう死刑囚のように重たい足取りだった。

 一方、尚美は何が楽しいのか鼻歌を口ずさみながら、軽快に歩いている。

 そして、私に向かって、
 「ほな、私、先に行ってチケット買うてくるけん、ふたりのこと見とってな」
 と言ってチケット売り場まで駆けていった。

 私は呆然と「ああ」だか「うう」だか感情のこもらない返事をしていたように思う。


 「あっ、橋が見える! あれがそうなんかなあ」
 はしゃぐ武と「きっとそうよ。ホンマに吊橋なんやなあ」と笑う幹子。
 そして、それを極力見ないようにする私。


 「いやけいおおはし」を楽しそうに手をつなぎ歩いている幹子と武。武が立ち止まり、石碑を指さして「粉引き節ってなんなん?」と訊ねてきた。正直、気持ちはそれどころではなかったが、我が子がせっかく興味を持って質問しているのだ。親として出来る限りの答えを教えてやらねばならない……。


 「そ、それはな……」
 と答えようとしたとき、ふいに幹子と目があった。何かを訝しむような目である。


 「なあ、お父さん、何か変やな。どっか具合悪いんちゃうん?」
 ベテラン刑事のような鋭い洞察の眼差しで私を見据え、聞いてきた。


 「いや、ちょっと疲れたんかもしれん。でも、いけるわ」
 そんなやり取りをしていると、待ちくたびれた様子で尚美が「何しとん、はよ来ぃって」と我々に手を振りながら呼びかけてきた。


 なんだ。なんなんだ。ミッキーマウスと記念撮影したときでさえそんなテンションではなかったはずだ。お前の中では天下のミッキーよりもかずら橋なのか。


 「お母さんが呼んどぉけん急ごう!」
 武と幹子が私の手を取り、引っ張るように駆け出した。仕方なく子どもたちに合わせて私も走った。
 尚美が「はい、チケット持って」と私たちにチケットを手渡す。喜ぶ子どもたち。だが、私には地獄への片道切符にしか見えなかった。


 「僕、一番乗りじゃ!」
 「あーずるい!」
 と武と幹子が何の躊躇もなく、我先に、とかずら橋を渡り始めた。

 「あっ、ふたりとも気をつけるんよ。落ちんようにちゃんとゆっくり行かんと」
 そういうと尚美もふたりの後を追うように渡り始めた。


 だが、いつまで経っても私が続く気配がないのを不思議に思ったらしく、尚美が振り返って、
 「ほら、あなた。行こう。ふたりとも渡りきってしまうよ」


 とにっこり笑った。本来なら、子どもたちを除いた世界では一番愛すべきパートナーの笑顔であるが、この時ばかりは地獄から手招きして。ほくそ笑む悪魔か死神にしか見えなかった。

 彼女のセリフもまるで三途の川を渡らせようと、家族の姿をした悪い幽霊のように思えた。


 無論、そんなのは恐怖心が見せる幻にすぎず、尚美や子どもたちにそんなつもりは微塵もない。そんなことはわかっていた。頭では理解していた。


 だが、肝心の体が思うように動かないのだ。足はがくがく震え、全身から脂汗が滲み出てくるのがわかった。目の周りはチカチカと点滅するようになり、わかりやすく言えば貧血で「ああ、そろそろ立ちくらみが来て、倒れるなあ」と思うくらいのギリギリの状況である。

 「あなた?」
 「お父さーん! はよう、はよう!」


 不思議そうに振り返る尚美とやたら急かす武。そして、もう半分以上渡りきったあたりで私を振り返り、何かを探るような目をして見つめる幹子。六つの眼差しに半ば強迫めいたものを感じつつ、引き寄せられるように、橋に第一歩乗せることになった。


 もう行くしか無い……。


 多分、幹子は怪しんでいる。もしかすると勘づいているかもしれない。何しろ賢く鋭い子だからな。
 これ以上不信感を抱かせる訳にはいかない。何、問題ない。かずら橋は四十五メートルの距離だ。学生時代には五十メートルを六秒台で駆け抜けた私にしてみれば、大した長さじゃないはずだ。


 それにこの橋を構築するシラクチカズラにしたって、三年ごとに架替えするらしいから安全面だって問題ない。大丈夫。大丈夫。大丈夫。ゆっくり行けばいいんだ。


 進みさえすれば良い。まるで景色をのんびり眺めるような具合で渡れば、尊厳威厳は守れる。なに、問題ないさ。
 最初の一歩、二歩、三歩まではそろりそろりとゆっくりではあったが、何とか進むことが出来た。


 だが、四歩、五歩くらいになると足場と足場の隙間の長さが異様に気になり始めた。

 高さが怖いので、本当は下を見ないようにしたいのだが、足場を見なければ意外と隙間があるので踏み外す恐怖心もある。なので、否応なしに足元を見ながら、端の太くたくましいカズラにしがみつくようにしながら一歩、一歩進んでいく。


 足に体重を乗せて踏みしめるたびに、ぎしぎしという音が耳に入ってくる。
 やがて、一番恐れていたポイントに達したとき、私の足は完全に止まった。


 やや幅の広い足場と足場の間から、橋の下を流れる川が見えたのだ。途端に高さが具体的にイメージ出来てしまったために、それまでごまかしごまかしで進めてこられた足が止まったのである。


 今、私は猛烈に高いところに立っている!


 そうなるともうどうにもならない。空を仰ぎ見ようが、足元に視線を落とそうが、何しようが自分が高さ十四メートルの吊橋のうえにいるという現実がたまらなく恐ろしくなってきた。そのあまりの恐怖心に、私は次第に自分を客観視する余裕を失っていった。


 その後の記憶はまるでなく、気がつくと心配そうな家族の顔が自分を覗き込んでいた。

 のちにわかったことだが、橋の上で動けなくなった私は、情けないことにたまたま居合わせた観光客に助けられたそうだ。

 どうやら私はあまりの恐怖に橋の上で失神してしまったようである。
 何とか失禁することはなかったようだが、それでも充分すぎるほど情けなさすぎる姿を家族に晒してしまった。

 そして、今はそんな醜態を晒しての帰り道というわけである。
 いつの間にか後部座席での小競り合いは終わっていて、幹子も武もそれぞれ窓の外の景色を眺めているようだった。
 終わった。完全に終わった。
これまで必死で演じてきた「完全無欠の親父」が、「威風堂々の親父」がこんなかたちで終焉を迎えるとは思いもしなかった。
 何十回目かのため息を心のなかでついたとき、誰かが肩をぽんっと叩いた。


 それが武だとわかったのは、思わず見たバックミラー越しに彼と目があったからである。


 武はにっと笑っていた。だが、それは嘲笑っているようではなく、ただ落ち込んでいる私を元気づけようとしているような、温かく穏やかな笑顔だった。


最近、前の乳歯が抜けたばかりでところどころが穴だらけの、良い笑顔だった。
 「お父さん、怖いのによう頑張ったな」
 「え?」
 「ホンマは最初っから怖かったんじゃろ? ほなけんど、僕らが連れてってってお願いしたけん、頑張ってくれたんじゃろ? ありがとう」


 想像していなかった武の言葉に、私は何も言えなかった。かわりに涙が溢れでていた。嗚咽が出た。鼻水も出た。もしかすると橋の上での失神以上にみっともない状態だったかもしれない。


 しかし、それ以上にすっと体と心が軽くなっていき、心地よくなっていくのを感じていた。
 「僕、知っとんよ。人間はな、得意なこともあるし、どうしても出来んこともあるんよ。ほれ、僕は算数が苦手やし、お姉ちゃんは虫が怖いし、お母さんは……ああ、お母さんは何も怖いもんないか」


 そう言って武が笑うと、尚美と幹子も声を上げて笑った。


 私もつられて笑った。
 「それにな、お父さん、僕が一年生のとき学校でオシッコ漏らして落ち込んどうとき言うてくれたでぇ。『誰しも失敗はある。一番あかんのはたった一回の失敗で自分なんかアカンといじけることじゃ』って」


 「うん、そうやった……そうやったな。すまん、お父さん、えらそうに武に言うたのに忘れとったわ」


 「しゃあないよ。僕も六の段、たまに忘れるもん」


 そう言って武はニシシシと笑った。


 その瞬間、私のなかで張り詰め続けていた何かが音を立てて切れた。それによって、それまで自分のプライドを覆うように着込んでいた、見栄、虚栄の鎧を脱ぎ捨てることが出来た。


 「武、ありがとうなあ」
 「あははは。かんまんよ」


 日が沈む前に、吉野川市内にある自宅に到着した。
 「そうじゃ、野球中継始まっとうかもしれん!」
 と武がいの一番に車を飛び出し、玄関に向かって駆けていった。そのあとを幹子が追いかけていく。


 「ちょっと、今日は鉄腕ダッシュ観る日やろー」
 「おーい、テレビもええけど、ちゃんと手洗いせえよー」


 ふたりの子どもの背中に向かって声を掛ける私。
 尚美が車を降り、大きく体をそらして伸びをした。
 「今日は何か、すまんかったな……」


 気恥ずかしさと気まずさの入り混じった、バツの悪さをごまかすように私が目をそらしながらいうと、尚美は私の目の前に回り込み、
 「作戦成功~」
 とわんぱくな子どものような笑みを浮かべた。


 「さ、作戦? おい、どういうことじゃ?」


 訊ねてみるも、それに尚美は答えず、「さて、ご飯作らな~」と言いながら私をおいて家に入っていってしまった。


 どうやら今日の一連の出来事は、尚美の手のひらの上でのことだったようだ。
 あいつ、さては私が高所恐怖症だったのを知ってたな。下手すれば義父たちも知ってかもしれない。


 ホンマ、かなわんわ……。


 思わず苦笑してしまう。
 すると、武がリビングの窓越しに「お父さん、坂本がツーベース打ったで!」と叫んできた。


 「おっ、また打ったんか。すぐ行く」
 私は慌てて玄関に向かって走った。
 この日、私は見栄と虚栄の威厳ある父親は卒業した。(了)

まとめ

いかがだっただろうか。徳嶋ダイスケの短編小説は。

俺らしくない、ハートウォーミングな話だったでしょ笑

てっきりいつもみたいに変なふざけたのを書いてると思ったでしょう。意外とこういうのも書けるんですよ、俺は。

お褒めの言葉のみ募集中。

冗談はさておき久しぶりに小説を書いたけど、楽しかった。このブログのために祖谷のかずら橋に行ったときの経験が、そのまま活きた気がする笑 あのヒュンヒュンする感じは、体験しておいてよかったと心から思う。

意外と褒めてくれる方もいて、すっかり調子に乗った俺はもう一度徳島県にまつわる小説を書いてみようと案を練っている。

以上、徳嶋ダイスケの短編小説披露(「もっと俺を褒めてくれ! 頼む、お願いしますよ! 褒めてくださいよ! いや、マジでマジで」のコーナー)記事でした。では、また!


 
 
 
 
 
 

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