卑弥呼がいたとかいないとか。
ソロモンの秘宝が隠されているとかいないとか。
キリストや安徳天皇が隠れてたとかいないとか。
徳島県にはあちこちで眉唾物だけど、何だかワクワクさせられる伝説がいくつもある。
そのうちのひとつに「源義経徳島に来ていたんじゃないか説」ってのがあって、それを記念(?)して建てた、多分日本一巨大な義経像が小松島にあるってんで行ってみた。
入口とその周辺の感じ
なかなか草木がぼうぼうで、クモの巣も何となく見受けられる。だが、苦手なジョロウでもコガネでもない、何だか見たことない足の短いクモだったので大丈夫。秘技手刀で切り裂きながら進んでいく。(手頃な枝がなかったのだ。。。)
手や顔でクモの巣を突っ切り、くぐりながら緩やかな階段を登っていく。
すると、いきなりお出ましだ。
もうわかる。めちゃくちゃでかい!
抑えきれず駆け出す。クモの巣のテープカットなど、もう気にならない。
源義経像
これが恐らく日本一でかい義経像。
本当なら俺が並んで、いかにデカイか比較する写真が欲しいんだけど、ほら俺は単独行動だし三脚も持ってないし。。。
とにかくでかい!
回り込みながら四方から見上げる。東側にはこんな文字が彫り込まれていた。
また北側からは義経の背中が見えるんだけど、わかるかな。矢が固定されてんの。もしかしたら取り外し出来るのかも。
さらに何か書かれているので載せとく。
この像は、源義経が元暦2年2月(1185年)一の谷の合戦の後、屋島に本陣を構えた平家を討つため摂津国渡辺(現在の大阪市北区)を嵐の中5隻の船に分乗して船出、ふだんであれば3日かかるところをわずか時間で阿波の勝浦(現在の小松島市)に着いた。
そして、この地に源氏のしろ旗を標旗としてとして掲げ軍勢を立て直した後、地元新居見城にしていた近藤六親家の兵を先導役に屋島へ向かいわずかの軍勢で背後より攻めた。
慌てた平家軍は海にのがれた。
この奇襲戦により、戦況を有利に導いた源氏が屋島の戦いで平家を破った。
こうした史実を通して市民の郷土史への理解を深めるとともに、これらを後世に伝えるため、愛馬(大夫黒)に乗った義経の銅像を制作し、ゆかりの地(旗山)に建立するものである。
銅像は尾崎俊二氏の寄贈によるもので、足元から頭まで5.35メートル、弓の先までが6.70メートルあり、現存する騎馬像のなかで日本一のものである。
この「源義経公之像」が永くふるさと小松島市の歴史を伝え、市民の心に生きつづけることを願うものである。
平成3年7月吉日
小松島市長
いやあ思ってた以上にでかかった。だって義経は小柄で華奢なイメージだったから、こんなに勇ましいとは思ってなかった。それだけに「すげぇ」とテンションが上がった。
それから俺は周辺の探索を開始した。
義経像周辺の探索開始
義経像のすぐそばの草むらをかき分けて覗きこむと、何やらお墓のようなものを発見。
でも、よくわからない。
悩んでも考えても知らないものは知らないから、思い出せもしない。なので構わず先を急いだ。(天照大神と書かれているのだけはわかった)
今度はカッコいい馬を発見。
「奉納」されたものらしいが、何だろう。家紋も羽根を2枚重ねたような感じで見たことがない。
でも、よくわからない。
~以下同文
→家紋は「丸に違い鷹の羽」という種類のもので、鷹に対する威厳あるイメージから武人に好まれたものだそうだ。義経とは関係あるのかと思ったら、義経はどうやら 笹竜胆紋 っていう家紋らしいから無関係なんだろうな。
その馬のすぐ横(西側)に小さな祠が3つ並んでいた。
近づいてみたらお賽銭がたくさんあった。真ん中に穴ぽこが開いたお金を見て、一瞬5円玉かと思った。でも、全然違った。
寛永通宝だった。
古銭コレクターのおじさんにもらったことのあるやつで、たしか沢山流通したものだったはずだ。しかし、それにしたって古いものだ。いったいいつからあるのだろう。
調べてみたところ、「あえて古銭をお賽銭にする」風習みたいなのがあるらしい。多分それなんだろうと思う。一説によれば、「古い時代のご先祖様がお金に困らないように」みたいな意味があるとかないとか。だから、多分わりと最近の人が古銭をお賽銭したんだと推測する。
さらに西へと進んでみる。すると神社にたどり着いた。なかなか格好良い顔立ちの神社があった。
八幡神社
その正面には石段が下るようにのびていた。
ちなみに下から見るとこうなっている。
王子神社
少し小さめの鳥居が何とも言えず個性的。小さい俺は勝手に親近感を持つのだった。
階段の奥に見えるのは?
左の道へ進むのか、右の階段を昇るのか一瞬迷った。が、せっかく来たんだからということで階段を進むことに。階段の先に何か建物があるのも見えるしね。
建物手前に小さな祠?
とくに説明書きもなさそうな小さな祠。でも、結構古そうだ。
「前を失礼します」と蜘蛛の巣払いの秘技手刀を繰り出しながら更に進む。
妙見神社
観光サイトによれば、ここが山頂(といっても20メートルくらい)にあたるらしい。
一旦下に降りて、旗山周辺の探索に切り替えることにした。
大胆に剪定された木を見上げたり、ふいに顔にかかる蜘蛛の巣に顔をしかめたりしながら、西側方向からぐるりと旗山を一周歩いた。
やがて旗山をぐるりと一周する頃、こんなものを発見。
天馬石
草に隠れて読めないが、どうやら天馬石を踏むとお腹が痛くなるらしい。
馬には見えない気がするけど、この大きな石が天馬石だそうだ。お腹が痛くなると困るので触れずにおいた。(迷信めいたものを案外信じるタイプです笑)
義経ドリームロード
具体的にどのあたりを指すのかはわからないけど、どうやらこの辺(旗山周辺)一帯を義経ドリームロードというらしい。