徳島県美馬市穴吹町に光泉寺というお寺がある。そこには人類史上最も偉大なる天才と言っても過言ではない、アルベルト・アインシュタイン氏による、ある人物への追悼の石碑がある。
その石碑は、アインシュタイン友情の碑と呼ばれ、ひっそりと今も存在している。
それではアインシュタイン氏は、いったい誰に、どんな縁があって追悼の石碑を贈ったのか。いろんなサイトから情報を拝借しつつ、まとめてみようと思う。
まずアインシュタイン氏が誰の死を悼んで石碑を贈ったのかというと、徳島県が世界に誇る外科医・三宅速(みやけ・はやる)氏とその妻・みほ氏の2人である。
この三宅氏は、胆石症の研究によって世界的に有名になった外科医だそうだ。また、内臓外科の名手とも知られ、その名を世界中に知らしめたという。そんな三宅氏とアインシュタイン氏。彼らにはいったいどんな縁があったのだろうか。
どうやら2人は、同じ欧米視察旅行に参加しており、同じ船で移動していたらしい。
その際、アインシュタイン氏は急病に倒れた。そして、その治療をして助けたのが三宅氏だった。
以降、彼らの間には友情が芽生え、三宅氏ご夫妻が岡山県で戦争によって亡くなるまで親交は続いた模様。そして、三宅氏のお子さんからご夫妻が亡くなったことを伝えられたアインシュタイン氏は、追悼銘文を送ったという。それが刻まれた石碑が、現在、アインシュタイン友情の碑と呼ばれるものとして、存在しているというわけだ。
内容を書き写しておくか。
ここに三宅速博士とみほ夫人が眠っている。ふたりはともに人の世のしあわせのために働き、そして世の恐ろしい迷いの犠牲となってともになくなった。アルベルト・アインシュタイン
アインシュタイン博士追悼文 中央大学文学部教授 桑木務 訳
石碑の奥には、ご夫妻のお墓があったので勝手ながら参らせていただいた。
ちなみに、三宅速さんを検索かけると「日本で最初に脳腫瘍手術に成功した外科医」なんていうフレーズが沢山出てくる。そんなすごいお医者さんがいたとは本当に衝撃だ。
同時に戦争の悲惨さを改めて考えるきっかけになった。
とまあ、今回は珍しいテイストの記事になったけども、この週刊トクシマの本分は「徳島県をアーカイブしていくこと」だから、こういう真面目なことも重要なのだ。
というわけで今回はここまで。それではまた、したらなー。