今回の舞台は、T県Y市K町Kにある団地。
(今更隠すほどのことでもないけど、一応ふせておく)
同窓会中、友達が「俺たちの通ってた学校がなくなるなんてな」みたいなことを言ってて、それが妙に印象に残ってた。
それを聞いて、
「そうか。思い出深い場所、建物がいつまでも存在し続ける保証なんかないよな」って思った。
そのとき、一番に思い浮かんだのが子どもの頃に毎日のように遊びに行ってた団地だった。
団地回顧録
20年くらい前にはたくさん住んでて、子どももいっぱい。
当時は全校生徒約150人くらいで、そのうちの過半数が団地とその周辺一帯に住んでたんだよな。(集団下校したら大行列だったな)
そんな事情もあって、
「さあ、遊ぼう」と団地に向かって駆け出せば、誰かしらに出会えるわけだ。
その団地は二棟あり、その間にちょっとした公園というか広場があって、よくサッカーして遊んだよ。
↑ここがサッカーしてた広場。昔は綺麗に手入れされてたんだけどなあ。
3歳くらいの小さい子から小学6年生まで、一緒になって遊んだな。たまに中学生も混じって、いろんな遊びを教えてくれたりね。
俺の小学生時代のメインコミュニティーが団地だったというわけだ。
いろんな子がいてね。心身や家庭それぞれに問題を抱えてる子たちもいた。泣きながら出てくることもあったんだけど、一緒に駆け回ってるうちに涙も乾いてく。
帰る頃には皆とゲラゲラ笑って、
「また明日な!」
と手を振り帰っていく。
そんな思い出深い団地も、今では2、3部屋しか住んでない。噂によれば、どっかの企業が買ったらしいが、本当かどうかはわからない。
今から12年前に凄まじい事件が起こったことは無関係だろうか。
謎のおばさん
とくに立ち入り禁止というわけでもなさそうなので、10数年ぶりに行ってパシャパシャ写真を撮ってきた。
「わあ、懐かしいなあ」
と夢中で撮ってたら、ふと背中に気配を感じて振り返った。すると、恐らく住人だろう、おばさんが入口の階段のところに座っていた。
ばっちり目があったので、挨拶。
何故か半笑いで挨拶を返してくれた。
一旦通りすぎたんだけど、何か話してみようかと振り返るといなくなっていた。
おかしな若者がいると思って引っ込んじゃったのかな。
それから、ちょっとした子どもたちのたまり場になってたのがここ。
階段に腰掛けて、それぞれ持ち寄ったカードゲームやミニ四駆で遊ぶスポットだった。
少し名残惜しく思いながらも、団地を後にすることに。
謎のバス
懐かしい団地を撮影したあと、いっつも「写真撮るの忘れてた!」ってなるスポットにようやく立ち寄ることが出来たので載せておく。
このバスね、俺がこの地に越してきたときからあったと思うんだ。
だから、かれこれ30年くらいはここにあるね。道挟んで向かいは普通の民家。
一体何なのかはわからないけど、結構好きだったんだ。
まとめ
かたちあるものは、いつか無くなってしまう。
記憶にしか留めておけない状態になる前に行っておく、会っておく。結局、それくらいしか出来ない気がしたなあ。
何となくおセンチな記事になっちゃったけども、それは懐かしさがそうさせるだけで俺自身はおセンチにはなっていない。
ただ徳島県内のことを書き残すブログなので、ここも残しておこうと思っただけだ。本当だよ。