この像は、源義経が元暦2年2月(1185年)一の谷の合戦の後、屋島に本陣を構えた平家を討つため摂津国渡辺(現在の大阪市北区)を嵐の中5隻の船に分乗して船出、ふだんであれば3日かかるところをわずか時間で阿波の勝浦(現在の小松島市)に着いた。
そして、この地に源氏のしろ旗を標旗としてとして掲げ軍勢を立て直した後、地元新居見城にしていた近藤六親家の兵を先導役に屋島へ向かいわずかの軍勢で背後より攻めた。
慌てた平家軍は海にのがれた。
この奇襲戦により、戦況を有利に導いた源氏が屋島の戦いで平家を破った。
こうした史実を通して市民の郷土史への理解を深めるとともに、これらを後世に伝えるため、愛馬(大夫黒)に乗った義経の銅像を制作し、ゆかりの地(旗山)に建立するものである。
銅像は尾崎俊二氏の寄贈によるもので、足元から頭まで5.35メートル、弓の先までが6.70メートルあり、現存する騎馬像のなかで日本一のものである。
この「源義経公之像」が永くふるさと小松島市の歴史を伝え、市民の心に生きつづけることを願うものである。
平成3年7月吉日
小松島市長
いやあ思ってた以上にでかかった。だって義経は小柄で華奢なイメージだったから、こんなに勇ましいとは思ってなかった。それだけに「すげぇ」とテンションが上がった。
それから俺は周辺の探索を開始した。