「いつか終わってなくなる」ことが大前提の今を、もう少し大切に考えていかなければならないな、と思いながら段々畑を眺めてみる。
この畑にしても、10年後、20年後に同じように存在しているかどうかはわからない。やがて、誰も手入れをしなくなって、雑草に陣取られるようになって、段差の区別もつかなくなってしまうかもしれない。
そうだとするなら、俺がこうして徳島県のことを記事にしていく当ブログも、徳島県に流れる時間の瞬間を切り取った、ひとつの資料として役立つ日がくるかもしれない。
2020年前後の徳島県を、その時代に生きた30歳前後の男からの視点での情報として。10年後、20年後の未来からすると、「へえ、このころの徳島はこんな感じやったんや」と言われるほど変わってしまっているかもしれないものな。
さて、そんな未来のことを考えるのもいいが、それはさておきこの記事をどうやって終わらせよう。。。広げた風呂敷がどれくらいの大きさなのかさえ曖昧なまま、テキトーに書きすぎて長くなった。。。
よし、おしまい。