はじめに
この記事は、eスポーツ(ぷよぷよ)を通じ、世代を超えた即席トリオが起こす奇跡の物語をつづったものである。(また、徳嶋ダイスケ自身の成長物語でもある)
阿波市eスポーツ大会 AWA OPEN
阿波市観光協会さんのツイートで「eスポーツに関するイベントをするよ~」というのを発見し、「よし、他人のプレーを眺めに行くか!」と即決した俺。そんな俺は、小学生のころから自分がコントローラーを操作するよりも、友達が遊んでいるのを横からボケーっと眺めるのが好きなタイプで、おまけにゲームセンターCX大好き人間なのであった。
それはさておき会場となる阿波農業環境改善センターに訪れてみると、まだ午前のイベントが開始したばかりだというのに、なかなかの人出で賑わいを見せていた。
「さすがeスポーツ」なんて思いながら入場すると、すっかり徳嶋ダイスケを覚えてくださっている阿波市観光協会の皆さんが温かく迎えてくれた。
ふむふむ……本日のスケジュールはこんな感じか。
とりあえず会場に入ってみると、こんな感じになっていた。
開会の挨拶を今か今かと待ちわびる参加者たちと、それに紛れる俺。一番後ろの席にそっと着席。写真撮影に関しても、「参加者の顔が露骨に写っていなければ大丈夫」と言っていただけたため、皆さんが前を向いていることをいいことにパッシャパッシャ写真を撮った。
ちなみに背後には「ぷよぷよ」と「バーチャファイター」を自由に楽しめる夢のようなスペースが準備されてあった。(まだ解禁前のためプレイヤーは誰もいないけど)
そうこうしているうちに挨拶がはじまり、終わって、参加者が待ちに待っていた「ドラゴンボールファイターズ対戦交流会」に演目が移っていった。すると、それまでソワソワしていた参加者たちが、ゾロゾロと立ち上がり、対戦交流会の順番待ちスペースに移動しはじめた。
ゲームをする気が全然なかった俺は、もちろんパイプ椅子にへばりつくように座ってリラックスしてボケーっとしていた。(さっき食べたたこ焼き旨かったなあ)なんて思いながら……。
ドラゴンボールファイターズ対戦交流会
午前の部はまるまるドラゴンボールファイターズ対戦交流会だったんだけど、まあ盛り上がった。どの参加者も上手で、何よりも皆楽しそうにプレーしているのが印象的だった。
そして、終盤くらいで、地元中学生たちが「ナッパ・クリリン・天津飯」という、何かしらの共通点のありそうなメンツ同士で戦い合うというシュールな展開を生み出した。勝った方も負けた方も「ナッパ様、ナッパ様」と発言していたのがおかしかった。
どうやら彼らの中でナッパが空前のブームらしく、「全員がナッパにとても心酔している」という設定で遊んでいるようだった。
34歳になったおじさんとしては、その男子中学生らしさを眺めていて嬉しくなった。かつて彼らくらいの年齢のときの自分も、そんな風に友達とゲームをしながら勝手な設定を作って、ふざけあって笑っていたのを思い出したからである。
そんな感傷に浸っているうちに、あっという間に午前の部が終わっていった。
次の演目までは少し時間がありそうだ。どうしようか。最後までいようか、もうナッパネタもあるし、記事ネタは十分に得られたが……。そんな風に考えて席を立った、そのときだった。
「ダイスケさん、ちょっといいですか?」
振り返ると、そこには……。
徳嶋ダイスケの人生名物「唐突の無茶ぶり」炸裂
何かあったのか、青白い困ったような顔をした観光協会の人たちが立っていた。
理由を聞くと「午後のぷよぷよeスポーツ大会において、何か理由があり、人数不足で参加できそうもないチームが1つあって困っているのだ」みたいなことを言った。
そう、ぷよぷよeスポーツ大会に関しては完全に事前予約制であり、なおかつ3人一組のチーム戦。3人揃っていなければ出場すら出来ないのである。どうやらそのチームは急遽2人参加出来なくなったらしく、1人は見つかったものの、あと1人がまだ見つかっていないのだとか……。
「もしよかったら、そのチームに入ってくれませんか?」
というのだった。
「いや、俺、ぷよぷよめちゃくちゃ弱いですよ。25年前にやったくらいで……」
と及び腰になるも、(けど、ここで俺が断って出れんようになるんもなあ)と思い、結局出場することに決めた。(ちなみに俺には1000近い異名があるのだが、そのうちのひとつが「安請け合いのダイスケ」である)
こうして俺は初対面の2人とチームを組み、徳島県内で鬼のようにぷよぷよが強いとされる「ぷよらー」に挑戦することになったのである。ちなみに他の2人も初対面同士なので、全員が当日「初めまして」状態であり、年齢も10代、20代、30代と見事にバラバラトリオが完成したのだった。
チーム名は、最年少15歳の彼が適当につけてくれた「古典部」。
彼いわく「ノリで決めた」とのことだが、俺は案外気に入った。また20歳になったばかりだという彼も「いいと思います」と柔らかな口調でほほ笑んでいた。
俺は最年長として、ひと回りもふた回りも若い2人に言った。
「とりあえず……楽しみましょう!」
と。正直、ぷよぷよガチ勢に勝てる気はしなかったし、そもそも俺は頭を使うゲームが得意ではない。対人戦で悠長に連鎖を考えた組み方など出来る気がしなかった。2人には悪いと思ったが、確実に自分が足手まといになるのは目に見えていたので、「楽しみましょう」という言葉でお茶を濁させていただいたのである。
やがて、午後の部の時間がやってきて、ぷよぷよeスポーツ大会がはじまった。
我々「古典部」の出番は5番目だったので、俺はひとり着席して他の挑戦者たちの戦いぶりを眺めて出番を待つことにした。(20歳の彼は一旦食事のため帰宅し、15歳の彼は友達のところへ行っていた)
ちなみにこのイベントにやってきてくれた最強ぷよらーは、
くるぽーさん、あず♀さん、ときさんの3名だ。
俺はeスポーツ業界に疎いので存じなかったが、お三方とも鬼のように強いことは、他の挑戦者たちとの戦いぶりで嫌というほど伝わってきた。ハンデあり(難易度設定によるもの)でありながら、鮮やかに連鎖を決めていく様には圧倒されるばかりだった。
もっとも我々挑戦者たちにも、勝利の可能性がないわけではなかった。
というのも、さすがに難易度調整程度のハンデくらいで勝負になるはずがないため、主催の阿波市観光協会さんが予め用意していたと思われる特別ハンデの存在があった。
その特別ハンデには、「コントローラー逆さ持ちプレー」「人差し指のみでプレー」「2人羽織プレー」の3種類あり、中でも「2人羽織プレー」はジョーカー級に強力なハンデといえた。
どういうハンデかというと、プレイヤーとなるぷよらーは画面に背を向けた状態でコントローラーを操作する。そして、他の2人のぷよらーが画面を見ながら指示していくという、もはや「何をしてんだw」レベルの超強力ハンデなのだ。
参戦依頼を受けた段階では、その特別ハンデシステムがあるのを知らなかったが、そういうのがあるのなら「最初から白旗を振る必要はないな」と考えを改めた。弱者の兵法。使えるカードは躊躇なく切ること。また、勝負は時の運。運の強さなら自信がある。
途端にワクワクしはじめた。
そして、一旦休憩および阿波踊りタイムを挟んだのち、我々の出番がやってきた。
いざ決戦の時だ。一応形だけでもしとこうと我々チーム「古典部」はそれぞれの手を合わせて、心を一つに気合いを入れた。
技術でも、経験でも大きく劣るのはわかっている。それでも勝機を引き寄せようと思うのなら、ひとつしかない。気持ちだ。気持ちだけでも勝つしかない。もしかすると相手にも油断があるかもしれない。それにこちらには「負けて元々」の強みがあり、強者には強者のプレッシャーがあるだろう。
そこを上手く突くことが出来れば、奇跡を起こすことも不可能ではないはずだ。
こうして我々即席チーム「古典部」の決戦がはじまった。
あず♀さんVSチーム「古典部」
舞台に上がると、どこかで見た顔があった。それは道の駅どなりで「わんこ土柱麺」に挑戦した際に名刺交換をしたり、撮影をしていただいたりしたアナウンサーの福井さんだった。覚えてくださっていたらしく、俺の紹介をざっくりとしてくれたのが嬉しかった。
また、大勢の前で「徳嶋ダイスケ」とコールされると燃えてくる笑
対戦相手は、あず♀さんだった。
正直、超強敵であることに違いはなかったが、所詮こちらは胸を借りる立場だ。負けて失うものはない。ましてや、こちらには特別ハンデがあるからね笑
だが、足掻きもせずに敗北を認める気など、さらさらなかった。
対戦直前の控室で、15歳の彼がボソッと「友達のチーム、勝ったんですよね」と言ったのが脳裏をよぎる。そう、彼の友達3人組(ナッパ様ネタの子たち)は俺らの1つ前の出番で見事勝利をおさめていたのだった。
チーム「古典部」には「古典部」の、ただ単に負けるわけにはいかない理由があったのである。
15歳の彼の足を34歳のおっさんが引っ張って、この楽しいイベントを悔しい思い出にしてたまるか。かなり美化するとそんな気持ちがあったり、なかったりした笑
第1戦目(難易度設定によるハンデのみ)
ほとんど瞬殺されてしまった笑
さすがは最強ぷよらーが1人。だが、それは想定内だ。勝負事というのは総合的に見なければならない。……とはいえ3本勝負のうち1本取られたわけだ。王手がかかっていることに違いはない。
お待ちかねの特別ハンデ選択の時間がやってきた。
我々は顔を見合わせて頷きあった。初対面であるのが信じられないほどの阿吽の呼吸。「どうする?」なんて相談するまでもなく、我々が選んだのは……。
「2人羽織プレー」
俺の記憶がたしかなら、この特別ハンデによるぷよらーたちの勝利は一度もなかった。つまり、これが現状の最適解。より確実に1勝をもぎとり、1対1のイーブンに戻す最適解。もし、これで勝てなければ仕方ない。それくらいの最適解なのだ。
会場に漏れる失笑。だが、そんなものどうってことはない。縁あってチームを組むことになった仲間を、未勝利で帰すわけにはいかんのだ。
20歳の彼がモニタを眺めながら、相変わらず柔らかな口調でつぶやいた。
「このハンデで負けたら初になりますね」
「それはそれで盛り上がるかもしれませんよ」
そう答えたような気がするが、さだかではない。俺の集中力の矛先は、目の前におぼろげに見える勝利の尻尾に向かっていたからである。……必ず獲る!!!!
第2戦 ハンデ 2人羽織プレー
「これで負けたら終わり」という状況ではあったものの、我々は三者三様に落ち着いてプレーが出来たと思う。あとで観光協会さんに送っていただいた動画を見返してみたが、冷静に1人1人がコツコツと目の前のぷよぷよを的確に消し去っていき、慣れないハンデに戸惑うあず♀さんに対して容赦なく「おじゃまぷよ」攻撃を続けていた。
結果、我々は無事に1勝をもぎとり、イーブンに戻すことに成功したのである。
ここで俺は意味はないとわかっていつつ、大袈裟に両拳をあげてガッツポーズをとり、仲間たちとグータッチで喜びをあらわにしてみせた。実はこれ、純粋に喜んでいるのもあったが、「これであず♀さんが少しでもイラっとしてくれたら勝率あがるかも」というキャッチャー経験者のいじわるな狙いもあった笑
なお、この「2人羽織プレー」というハンデはその強力凶悪さから1プレーのみ有効となっていたので、第3戦目はどうするかハンデ選び直しタイムがあった。結局、我々が決めたのか、あず♀さんが決めたのかは覚えてないけど、3戦目は「コントローラー逆さ持ちプレー」に決まった。
さあ、泣いても笑って次が最後。集中力は最大限にまで高まっていた。
第3戦 ハンデ コントローラー逆さ持ちプレー
第3戦目は、もう俺は「これしかない」という一点だけを狙って一気に勝負をかけることに決めていた。始まった瞬間からスパートをかけた。俺の勘だが、それを逃すと「絶対に負ける」気がしたからである。
もはや「ぷよぷよ」というパズルゲームというよりも、スポーツ的な意味での反射神経を使っていたような気がする。
その間も仲間たちが細かく連鎖して、あず♀さんを攻撃してくれる。俺はある一点だけを考え狙ってガンガン操作を進めていった。最強魔法の長い詠唱時間を稼いでもらっているような気持だったのはココだけの秘密だ笑
オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!
「よし、いけっ」
そして、その狙いは見事に的中。
俺が狙った一点。
それは「ぷよ全消し」による大量おじゃまぷよ砲の炸裂である。俺はスーファミ版のぷよぷよしかしてこなかったので知らなかったのだが、どうやら最近のぷよぷよでは自分の面(?)のぷよぷよを一度全て消すことで、相手に大量のおじゃまぷよをおみまいすることが出来るのだ。
俺の面(?)からぷよぷよが完全に消え去った。
その瞬間、我々「古典部」のジャイアントキリングが成立した。
我々3人が力と知恵を合わせてもぎとった大金星である。
その後、勝利者インタビューで改めて緊張しはじめてグズグズになった俺は、仲間たちと舞台を降り、嬉しすぎて15歳の彼の友達に頼んで3ショットを撮ってもらった笑
まさかのエキシビジョンマッチ開催
無事勝利をもぎとり、続く挑戦者の応援をし、とうとう最後の挑戦者のプレーが終わった。
「ふーこれでこの祭りも終いか」と思ったところで、四国大学の長瀬先生の粋な計らいにて、くるぽーさん、あず♀さん、ときさんの3名に加えて、いしころさんの4名でトーナメント戦を行うことに。
ところがどっこい、俺は自分の勝負で頭を使い過ぎてショートしており、この粋なトーナメントの優勝者が誰だったかを覚えていない。ただ、あず♀さんが自爆して優勝者が決定したような気がするのだけはうっすら覚えている。
とにもかくにも大盛り上がりのまま、イベントは表彰に移った。
表彰 エンディング
ぷよらーに挑戦した人は全員舞台の上に上がり、表彰(お菓子のトロフィーをもらった)してもらえたんだけど、さらにMVPを決めるシステムもあって、それは非常に可愛らしく強かった小さな3人組が栄誉に輝くこととなった。
最後に記念撮影をして、解散という運びとなった。
こうして、俺の思わぬ長く、でも過ぎてみればあっという間だった一日が終わっていくのだった。
まとめ
あー楽しかった笑
ほんの1,2時間程度組んだだけのチーム「古典部」だったけど、非常に名残惜しく思いつつも、「ほな、またどこかで」とカラッと解散。
ただ3人で掴んだ勝利を生涯忘れることがないだろう。めちゃくちゃハンデをもらったとはいえ、あれほどのツワモノを倒せたのだ。胸をはっても罰は当たらんだろう。
ちなみに全部終わった後に、あず♀さんが談笑されていたのでどさくさに紛れてご挨拶しておいた。
お土産がわりにポスターをもらい、出場者の印であるシールを胸に帰宅した。
今回はここまで。それではまた、したらなー。