1980年代缶ビールドライ戦争
缶ビールで「ドライ」といえば、「アサヒスーパードライ」のイメージしかなかった俺には、
この目の前に転がる「SAPPORO」を冠したドライの空き缶には違和感しか覚えなかった。
少なくとも俺がコンビニやスーパーに買い物に行った時には一度も「サッポロ」の「ドライ」を見たという記憶はまるでなかったわけだ。
それで調べてみたら、かつて1980年代後半ころに「ドライ戦争」なる熾烈なビール業界での熱い戦いがあったことが判明した。
ドライ戦争
アサヒスーパードライが登場するや否や大ヒット、大ブレイク。それが1987年。
俺が想像するにこのドライが考えられないくらい、飛び抜けて売れに売れたんだろうね。
それに歯止めをかけるべく、競合3社(キリン、サントリー、サッポロ※発売順)も品名に「ドライ」を付けた新商品を翌年1988年の2月に売り出すことになった。
で、それらの発売発表があった1月ごろにアサヒから「ちょっと待ってくれよ。名前がうちのと似てて消費者に誤解を与えかねないじゃないか」と3社に抗議文を内容証明で送る大事になったらしい。
まあ、発表当初はめちゃくちゃラベルや名称が「アサヒスーパードライ」に寄ってたんだろうな。(想像だけど)
それで結局、アサヒが譲歩して「名称をちょっと変えること」を条件に和解というか「まあ、いいよ」ってなって、売り出されることになったんだ。で、その一連の出来事をマスコミがはやしたてまくって盛り上げたのが「ドライ戦争」なんだって。
ドライ戦争終戦
結局、どの会社の「ドライ」もめちゃくちゃ売れまくったらしいんだけど、後発の3社は次第に供給が間に合わなくなって品薄状態になっていく。
逆に一足先に大ヒットさせていたアサヒは、すでに事業拡大の手を打っていたため、供給量がしっかり確保できていたので結局1988年の販売数量実績で7500万ケースを記録して差を見せつけた。
そんなアサヒの勝利で「ドライ戦争」は幕を下ろしたという。
ただ面白いのは、4社の「ドライ」がぶつかり合ったことでマスコミが飛びつき盛り上げ、消費者の注目の的になって、結果4社とも大ヒットしたことだよね。
ちなみに俺が見つけた「サッポロドライ」は、従来のサッポロビールファンからは評判が良くなかったらしく、発売から2年ほどで市場から消えた初期のものだとわかった。
続きまして、プルトップ変遷の歴史について……。