雑記

【ドライ戦争】古すぎる空き缶から学んだ3つのこと【謎のつぶつぶオレンジ】

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この3日間で妙に詳しくなったことがある。

それは空き缶、というか缶ジュースや缶ビールなどの歴史についてだ。

これがまあ奥が深い。

ついさっき初期の頃は 350ml缶は首都圏になかった説を教えていただいた。

きっかけとなった空き缶たち

前記事でも紹介した古すぎる空き缶たちをTwitterに投稿したのをきっかけに、それまで知らなかった缶飲料の歴史を知ることになったので、学んだことをまとめておこうと思う。

よろしければ絡んでやってください。

謎のつぶつぶオレンジの正体

今でも色んなメーカーさんが出してるよね?

俺も子どものころよく飲んだもんさ。俺はぶどうのつぶつぶが入ったのが好きだったな。(まったく関係ないけど、振った回数だけテイストが変わるプリンの缶ジュースとかも好きだった笑)

でも、この空き缶のパッケージは見たことがなく、昨年還暦を迎えた親に聞いてもわからず「いったいどこのだろう」と不思議に思っていた。

そうしたところ、フォロワー様が教えてくださったんだ。

「大洋漁業株式会社(現:マルハニチロ)が1984年あたりに製造していたものらしいよ」って。

どうやらインスタグラムにこれと同じ缶を載せてる方がいらっしゃったみたいで、それを見つけ出して詳しく見てくださったらしい。

大洋って聞いて昭和野球史大好き人間の俺は「あれ? 大洋ホエールズ(現DeNAベイスターズ)の大洋のことかな」とすぐに思った。

そっから一気に頭の中で、

「たしか大洋って缶詰の会社(実際は食品加工等)じゃなかったっけか……。あっ、缶ジュースも缶詰の仲間みたいなもんか! あっ、つぶつぶオレンジって、みかんの缶詰からの着想だったりすんのかな!?」

みたいに史実と妄想とがゴチャゴチャになりながらもテンションが上っていったっていうね。

それはさておき、多分探すの相当大変だったと思うんだ。

だって、ヒントは俺が撮った下手くそな、変な角度の古い空き缶の写真だけなんだもの。

本当に申し訳ないのと、本当にめちゃくちゃありがたかったのと、本当にめちゃくちゃ嬉しかった。本当にありがとうございましたm(_ _)m(多分見てないと思うけど笑)

改めてTwitterというかSNSというものというか、人と人の繋がりってスゲェなって思った。

続きまして、1980年代 ビールドライ戦争について……。

1980年代缶ビールドライ戦争

約30年前のものと判明。

缶ビールで「ドライ」といえば、「アサヒスーパードライ」のイメージしかなかった俺には、

この目の前に転がる「SAPPORO」を冠したドライの空き缶には違和感しか覚えなかった。

少なくとも俺がコンビニやスーパーに買い物に行った時には一度も「サッポロ」の「ドライ」を見たという記憶はまるでなかったわけだ。

それで調べてみたら、かつて1980年代後半ころに「ドライ戦争」なる熾烈なビール業界での熱い戦いがあったことが判明した。

ドライ戦争

アサヒスーパードライが登場するや否や大ヒット、大ブレイク。それが1987年。

俺が想像するにこのドライが考えられないくらい、飛び抜けて売れに売れたんだろうね。

それに歯止めをかけるべく、競合3社(キリン、サントリー、サッポロ※発売順)品名に「ドライ」を付けた新商品を翌年1988年の2月に売り出すことになった。

で、それらの発売発表があった1月ごろにアサヒから「ちょっと待ってくれよ。名前がうちのと似てて消費者に誤解を与えかねないじゃないか」と3社に抗議文を内容証明で送る大事になったらしい。

まあ、発表当初はめちゃくちゃラベルや名称が「アサヒスーパードライ」に寄ってたんだろうな。(想像だけど)

それで結局、アサヒが譲歩して「名称をちょっと変えること」を条件に和解というか「まあ、いいよ」ってなって、売り出されることになったんだ。で、その一連の出来事をマスコミがはやしたてまくって盛り上げたのが「ドライ戦争」なんだって。

ドライ戦争終戦

結局、どの会社の「ドライ」もめちゃくちゃ売れまくったらしいんだけど、後発の3社は次第に供給が間に合わなくなって品薄状態になっていく。

逆に一足先に大ヒットさせていたアサヒは、すでに事業拡大の手を打っていたため、供給量がしっかり確保できていたので結局1988年の販売数量実績で7500万ケースを記録して差を見せつけた。

そんなアサヒの勝利で「ドライ戦争」は幕を下ろしたという。

ただ面白いのは、4社の「ドライ」がぶつかり合ったことでマスコミが飛びつき盛り上げ、消費者の注目の的になって、結果4社とも大ヒットしたことだよね。

ちなみに俺が見つけた「サッポロドライ」は、従来のサッポロビールファンからは評判が良くなかったらしく、発売から2年ほどで市場から消えた初期のものだとわかった。

続きまして、プルトップ変遷の歴史について……。

プルトップの変遷の歴史

俺には記憶がないんだけど、今と昔では缶飲料の飲み口の構造が違ったんだって。

それがどういう理由で変わっていったのかを教えていただいたので、まずそこをまとめてみる。

缶切りを用いずに缶の栓を開けられる構造のことを、「イージーオープンエンド(EOE)」と言うらしい。

また、缶ジュースなど缶の一部(主に飲み口など)だけを開けられるようにしたものを「パーシャルオープンエンド(POE)」というんだって。(ちなみに缶詰のように蓋全体がパカァッと取れるように開くものを「フルオープンエンド(FOE)」と言うらしい)

そんで、そのパーシャルオープンエンドにも種類があって、

昔はいわゆるプルタブ式って言って、開ける時にタブが本体から切り離される ような仕組みだったんだって。飲み口を開けるために、飲み口部分だけ缶詰の蓋を開けるみたいな手法だったってイメージすればいいのかなあ。

でも、そのプルタブ式には大きな問題があった。

プルタブ式が抱えた大問題とは

その切り離されたタブ(指輪のような輪っかのついた小さな缶詰の蓋みたいなの?)をポイ捨てする人たちが多くいて、それを動物が飲み込んだりして環境に大きな問題を及ぼすことがわかったんだね。

だから、缶飲料のメーカーが考えたんだろうなあ。

それできっと誰かが気づいたというか、発見したんだろう。

「だったら切り離せないようにすればいいじゃない!」って。

そこで誕生したのが、ステイオンタブ式という新たな手法。

ステイオンタブとは……

缶蓋にスコア(切欠き)が入れられ、リベットでその上部にタブを取り付けた構造となっており、タブを引っ張ることでスコア部分の金属片が押し込まれて開口する。ステイオンタブ式では開口の際にもタブは本体に残ったままで切り離されない。

Wikipedia

つまり現在俺たちが普段飲んでる缶飲料を開ける時に使ってるスタイルだね。(もっとわかりやすいのは、この項目の最初に貼ってある画像を見ること)

こういう歴史を経て、今のスタイルに落ち着いたなんて本当に知らなくて驚いた。

まとめ

本当に何の気なく写メった空き缶。

まさかそれらがこんなにたくさんのことを教えてくれることになるとは、山の中をヘトヘトになって歩いていた当時の俺は想像してなかった。

空き缶が教えてくれたこと。

「人の繋がり、モノの歴史は想像している以上に奥深く素晴らしく面白いものだ」ということだ。

それから、さっき教えていただいたばっかりの「 首都圏にしか売ってなかった初期のマックスコーヒーの缶 」っていうのを一度どこかでお目にかかってみたいものだと思う。どんなのだろう……。

ただ最後にひとつ言わせて欲しい。

ポイ捨て、ダメ絶対!! ポイ捨てはダメよ。マジで。

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