賢見神社とは、 犬神憑きを落とす日本随一の神社 だそうで、俺が好きでよく観てた「北野誠のおまえら行くな」でも訪れてたところだ。
特に四国の南東部においては、古くから犬神憑きと呼ばれる動物霊による憑依・呪い伝承があり、人格の変化や手足の震え、突然の高熱などの医学的に説明の難しい病が引き起こされると考えられてきました。“犬 (狗)”とは、いわゆるペットとして知られる動物ではなく、人にとり憑き不幸を運ぶ動物霊の総称です。犬神信仰は現代でも特定の地域で非常に強く残っており、これを打払う唯一のお宮として賢見神社が信仰の対象となってきました。
賢見神社公式ホームページより抜粋
さて、この賢見神社。辿り着くのになかなか苦労した。まず細い山道をぐるぐる登るように延々走った挙げ句に、神社の1kmくらい手前の駐車場で車を停めて、ちょっとした坂道を歩いていかねばならない笑
こういう道をひたすら歩いて向かう。この時点でまだ俺は気づいてないんだけど、この地域の気温は38℃あったようだ。
しばらく歩くとようやく見えてくる、ぶっとい注連縄のアーチ。それをくぐると、もう神社は目の前だ。
手を洗い、充分に清めたら探索開始。
ちょうどそこに神主さんがやってきて、「その水(手洗い場)は飲めますからね」と教えてくれた。
本殿
この本殿はテレビやネットで何度も観たことがあるな。ちょっと見えづらいけど、クロスした剣の紋がある。この紋は徳島県内を探索していると、ちょくちょく神社などで見かけるやつだ。
荒神社
荒ぶる神々を祀った神社だそうだ。かまど神として祀られることも多いそう。
地神社(地鎮社)
神社を探索させていただいていると、興味深いものを発見した。
奥社参拝入口……。罰当たりな俺からすると、ゲームで裏ステージを発見したときのような興奮を覚えさせるような発見だった。
「そういえば北野誠もおまえら行くなで行ってたような気がする」
でも、こういうのを見つけても、すぐには入っていかないのが俺である。こういう場所ではちゃんと承諾を得ないと心配だからだ。とりあえず社務所まで戻り、神社の方に「奥社って入っていっても大丈夫ですか?」と確認。
「はい、大丈夫ですよ」と承諾を得た俺は、今にも駆け出したくなる気持ちを抑えて再び入り口へ向かった。
まさか、このあと死にかけるなど、このときの俺には知るよしもなかった……。
賢見神社 奥社を目指す冒険
ステンレスの階段をくだり、
竹の杖があるのを横目で確認。(大抵出入り口に、こういう杖があるのは管理者たちからの「なかなかハードな道のりですよ」「覚悟は出来てますか?」というメッセージでもある)
水行をしたい方は、行き帰りの際に必ず社務所に連絡をしましょう。
ステンレス製のルートが少しだけ続いたと思うと、やがて本格的な道が顔を覗かせる。
写真では分かりづらいと思うが、奥社へと続く道は終始下り坂。それも結構な斜度の下り坂がぐるぐると続く。
大天狗遥拝所
ホームページにも特に表記されていないし、現場にも説明がないので何かはわからないが、大天狗を祀っているようだ。
徳島県ではわりと頻繁に天狗が出てくるから、さほど不思議ではない。高越山という山には「高越天狗」がいたり、「天狗の湧き水」という名水があったりするからね。
碑の正面に見える山深くに鎮座する神をお参りする場所 (ホームページより)を示すものだそうだ。
賢見山歳徳神
水子地蔵尊
絶えず竹の先から流れ出る水の音が、思わず俺の喉を鳴らす。
思えばこのあたりから「ちょっと喉が乾いたなあ」と思い始めていた。
賢見山六地蔵尊
6体のお地蔵さんは、六道(天道・人道・修羅道・地獄道・餓鬼道・畜生道)の苦しみから人々を救うことを意味しているのだそうだ。
3枚めを見てくだされ。最近一眼レフの勉強をはじめて、いろいろ弄くりながら撮ったら、木漏れ日がいい具合にお地蔵さんたちを神々しくしてくれたよ。
雰囲気のある石橋を渡る。
賢見山 不動明王
肝心の不動明王がどこにいるかというと、
対面の滝(?)みたいなのの上にドーンである。
賢見神社 奥社
不動明王のポイントを越えると見えてくるのが、目的地である「奥社」である。
かなり雰囲気のある、自然と馴染むような空間となっていた。
鳥居をくぐり、若干苔むす階段をゆっくり登っていく。むせ返るような緑の匂いに、「波切不動尊」を思い出した。
階段を登っている途中、右手側にこういうものがあるので載せておこう。
山の神々が祀られているらしい。
大自然のなかの後光びかーっな奥社に「凄い風格だなあ」と感動していると、奥社に監視カメラがついていてガッカリした。。。
こういうの取り付けないといけない輩がやってくるという証明のようなものだからだ。そういえば途中に「ゴミは持ち帰ってください」みたいな立て看板も見かけた気がする。
こういう場所や自然のなかで平気でゴミを捨てていける神経が理解できない。俺のように信仰心も薄く、罰当たりな人間でさえゴミを捨てないというのに……。わざわざここまで来てゴミを捨てていくなんて、気持ち悪くないのかなあ。
ただただ悲しくなった。。。
奥社から命の水への死亡遊戯
しょぼくれて帰る途中、一瞬体がグラっとふらついた。
「ん? 目眩?」
すると、突然頭の奥のほうが痛くなった。気づくと、汗が止まっていた……。
脱水症状か!!!???
あいにく装備は一眼レフとスマホのみ。軽い探索で戻るつもりだったため、水は車の中に置きっぱなしだったのだ。
さらに、奥社から戻る道はひたすら坂道を登っていくかたちになる。それも結構な斜度で、結構な距離を、だ。おまけに本殿があるあたりに戻ったとしても、それがゴールというわけではない。
肝心の水があるのは駐車場にとめた車の中。
とにかく今は、ただ歩くしかない。諦めず、一歩一歩着実に自分で歩き出さないことには、生存の目はどんどんなくなっていくわけだ。何しろすれ違った参拝者1人以外、誰もいないのだから。
途中、水行に使われる滝?に喉を鳴らし、水子地蔵尊のところに流れ出る水にも喉を鳴らしつつ、耐えに耐えながら、長い長い登り坂をゆっくり歩いていく。
救いは、頭上は木々によって直射日光から守られていたことだろう。また、流れる自然の水のおかげで、やや涼しく感じられたことも大きかったかもしれない。
辛抱強く歩き続けること10分くらいだっただろうか。ようやく本殿まで出てこられた。神主さんやそのご家族らしき人たち、参拝者など、人の気配への有難みを痛感。
でも、まだゴールではない。そこからさらに駐車場に向かわなければならない。何か大事なことを忘れているようだが、頭が熱暴走中の状態では冷静に考えるなんて出来なかった。
だから、ふらふらヨタヨタと駐車場へ続く道のりを急いだ。
さらに歩くこと5分くらい。ようやく愛車の待つ駐車場に辿り着いた。もたつきながら鍵を開け、飛び込んだ。そして、ドリンクホルダーに鎮座するペットボトルを鷲掴みにし、温くなった水を一気に飲んだ。
ガス欠、水欠の俺には温い水がめちゃくちゃ旨く感じられた。
一気に飲み干すと帰り道困るだろうからと、3分の1程度残した状態でキャップをしめ、エンジンをかけた。エアコンが轟音立てて起動する。
生き返った……。
大袈裟でもなんでもなく、本当にそう思った。少しの間、体を冷やして回復させた。しばらくして、落ち着き冷静になった俺は、ふと「あっ、手洗い場の水飲みゃ良かったな」と振り返るのだった。
熱中症は頭を茹だらせて冷静な判断が出来なくなるようだ。
皆さんもお気をつけくださいm(_ _)m