徳島城はJR徳島駅の裏側にある。蜂須賀家政さんが建てたとされる城なんだけど、徳島大空襲で焼失してしまったんだな。だから、厳密には城跡。
さらに言うと、俺がうろついたのは徳島中央公園の近辺である。
ここはあまり派手ではないんだけど、わりと画になる箇所が結構多いスポットなんだ。
母の像も並べてあったら良かったんだけどね。それはさておき、とにかく何か格好いい。
涼し気な木々植物のアーチをくぐって暑さをしのげる。
もっさもさの木々がよく映える。県庁所在地のど真ん中なんだぜ。
誰かの置き土産。動物か子どもの仕業かな。よくこんなにたくさん見つけたな。
城山の海蝕痕
城山の海蝕痕(かいしょくこん)っていうらしい。縄文時代にはこのあたり(徳島市ど真ん中らへん)が海だった証拠なんだって。
貝塚とは、古代の人類のゴミ捨て場のうち当時の人々が捨てた貝殻が積み重なったもののことだとウィキペディアに書いてある。
歴史の授業で習ったな。なんでも墓地でもあったり、弥生土器が出てきたりしたそうだ。吉村作治先生的な人がいれば質問してみたかったな。
これは多分数寄屋橋。「このはし、わたるべからず」と書かれてたら困るので、念の為真ん中を渡って歩いてみる。
散歩するにはうってつけのルートだね。結構走ってる人も多い。(中には部活っぽいことしてる子たちもいた)
歩いてくと、こんなものを発見。
徳島市立 徳島城博物館らしい。はじめてきたな。でも、まだ開いてないからブラブラ続ける。(9時半に開くのだ)
鳥みたいなかたちの時計発見。迷わず階段を駆け上がった。
すると、すぐそばにラジオ塔を発見。
昭和8年にNHK徳島放送局が開局した際に建てられたものを、50年後に改修したものらしい。
それから、海軍の記念マストがあった。
鳥みたいな時計に導かれて、何気なく上がってきたスポットだったけど、結構見所というか写真の撮り甲斐のある景色が見られるな。
他にも同じ高台から、
こんな角度から橋が撮れる。そして、木陰になってるし、風を遮るものが近くにないから意外と涼しかった。
一旦階段を降りて、歩いてるとカンカンカンカンと踏切がなりはじめたので、音が聞こえた方に行ってみた。
ちょっと撮り鉄さんごっこしようと思いながら駆けていく。
この歩道橋みたいなのの上から、汽車が見下ろせるのだ。(くどいようだが、徳島には電車はなく、電車そっくりな汽車が走っている)
線路は続くよ、どこまでも。
俺さ、撮り鉄さんじゃないけど、撮り鉄さんたちが撮り鉄になった理由はわかる。乗り物にせよ、線路にせよ、それらが馴染む景色にしろ、めちゃくちゃ画になるもんな。
「撮りたい」と思わせる魅力があるもんな。(俺に一眼レフを扱える撮影技術があれば、いい写真が撮れたであろうに。。。悔しいねえ)
本職(撮り鉄さん)風のダンディズム全開の人がすれ違いざまに微笑みながら会釈してくれた。「駆け出し撮り鉄くん、頑張りたまえ」という意味だと解釈し、「違うけど、ハイ!」という意味を込めて笑顔で会釈。
撮り鉄さんごっこを一瞬だけ満喫した俺は、また徳島城近辺に戻った。
時刻は9時半を少しまわったところだった。博物館が開いている時間だ。行ってみよう! やってみよう!
だけど、俺は真っ直ぐ目的地に向かわない。
気分はたちまち風来坊。口ずさむよ風来坊。ふきのとう。
歩き疲れて立ち止まり~振り向き振り向き来たけれど~♪
徳島城 南東 鷲の門
立派なんだけど、一度焼失しちゃったんだって。それを復元したものらしい。
どうやら1989年に復元されたそうだから、俺が生まれた段階(1988年)ではまだなかったのか。
ってことは、一応俺のほうがひとつ年上か。
鷲の門付近には、こんなデケエ岩。国史跡 徳島城跡って書いてある。多分。
さっきの海軍の記念マストが松の木ごしに見えます。
影が大きくて見えづらいけど、石橋を渡って博物館に戻っていく。
博物館では310円のチケットを購入。
ちょうど日曜日(8月26日)まで催し物やってたみたいで、何か展示されていた。
一部撮影OKなところがあったので、ちょっとだけ撮ってきた。
これは歴史の教科書か資料集で見たな。たしか銅鐸。弥生時代あたりに作られてた気がする。(こういうところで説明をあまり読まない男)
補足:「流水文銅鐸」(りゅうすいもんどうたく)と言って、徳島県阿南市山口町で出土したものだって。
どうやら重要文化財のよう。とても状態が良く、貴重なものだそうだ。
補足:小袖 縫箔風景四季花文(ぬいはくふうけいしきはなもん)が左側で、紺黄染分綸子次竹栗鼠梅文様振袖(こんきそめわけりんずじたけりすうめもんようふりそで)が右側。
どちらも江戸時代に作られた着物らしい。どんな人が着ていたんだろう。
古い世界地図。何だか凄いワクワクする地図だ。丸めて冒険にでかけたくなるな。
補足:「世界全図」と言って、17世紀の中国(清代)に作られたっぽい。大きさは縦66.4センチ、横124.3センチにもなる。
ナポリのイエズス会士フランチェスコ・サンビアシっていう人が作って、中国皇帝に献上したものなんだって。(パンフレット参照)
あとは撮影禁止ポイントが多いので、ここで紹介するのはこのくらいで。
博物館を飛び出した俺が、次に向かったのは旧徳島城表御殿庭園ね。
かなり良い感じの景色が見られると聞いていて、俺の錆びついた腕前でもそれなりの写真が撮れるんじゃないかと期待しながら向かった。
旧徳島城表御殿庭園
ここは日本の名勝にも選ばれているスポット。(ちなみに名勝とは、日本における文化財の種類のひとつで、芸術上または観賞上価値が高い土地について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。特に、文化財保護法第109条第1項において規定された、国指定の文化財の種類のひとつ。 byウィキペディア)
そんなステキスポットが50円で見られるなんてね。
つまり良い庭園と書いてある。
殿様になった気分で闊歩する。
「赤信号 皆で渡れば 怖くない」などと風流な川柳などを詠みつつ、麻呂眉になったつもりで歩き回る。
歩いてみるとわかるんだけど、芝生がふわっふわ。ここ数年流行ってるふわふわのかき氷の上を歩いているみたい。
男根と子宮をイメージしているという岩が写っている。子孫繁栄を願う祈願石だそうだ。どれだかわかるかな?
帰宅してから知ったんだけど、岩の配置が良い感じのスポットだったらしい。もう少し注意深く見ておけばよかったな笑
歩く時に岩に足を取られないように注意。下手をすればドボンだ。
庭園を後にしてからも、しばらく殿様気分で周辺をうろうろしつつ、少しずつ駐車場へ戻っていく。
子供平和記念塔。土台は主に石や化石で作られていて、その中には全国の子どもたちやアメリカの子どもたち、更には今上天皇(当時は皇太子殿下だった)から贈られたものがあるらしい。
総工費は徳島県下の子どもたちによる献金らしい。竣工が1948年か。ちょうど70年前なんだな。
それから、さらにうろついてると違う銅像みっけた。
蜂須賀家政
藍やら阿波踊りやらを徳島で盛んにさせた人。
そのわりには、俺はこの蜂須賀さんのことをほとんど知らない。(まあ、基本的に俺が無知ってこともあるんだろうけど、授業で聞いた記憶もない)
とりあえず「平成最後の夏なのに阿波踊りが変な感じになっちゃってごめんなさい」と詫びておいた。
駐車場に戻る途中、見慣れない花があったので一枚撮って車に戻った。
で、時間軸で言うと、この後にセルフラーメン バリ旨製麺にラーメンを食べに行くのである。
おしまい。