恵比須洞や恋人岬の探索を終えたのが午前8時前くらい。
予定よりも大幅に早く目的達成が出来たため、俺はご機嫌で運転をしていた。その帰り道、「面白そうなところがあったら寄ってみっか」くらいのノリで楽しくドライブ。
そして、何気なく気になった「椿泊の町並み」「阿波水軍森氏の墓」(うろ覚え)と書かれた標識に従い、右折。
その時の俺は、まさか30分後に半泣きでハンドルを握ることになるなど、知る由もなかった。
ちなみに椿泊っていうのは、まあ徳島県の端っこのほうにある地域。漁師町っぽさが強い印象の町だな。
徳島県最難関運転スポット?
車を走らせていくわけだけど、かなり小さい俺の車でさえギリギリ。
たぶん写真では「言うほど狭くないやん」と思われてしまうだろうけど、これはあくまで少し広めのところで一瞬だけ駐車して撮ったからだ。
実際はあなたの思っている3分の1くらいの狭さだと考えてもらえればちょうどいいかもしれない。大きな車ならゴリゴリ壁に削られながらじゃないと通れないんじゃないだろうか。
俺の体感的にはこれまでで最も運転が難しいと思う道である。
俺も、これまで非常に危険で狭い山道を車運転したんだよ。それこそ総走行距離にしたら3万キロくらい走ってると思う。ガタガタ道も、ガードレールのない崖横も、「これ道じゃないんじゃねえか?」な道も、走りに走ってきた。
でも、一度も事故ったことはない。ギリギリ危なかったことも少なからずあったけど、全部回避してきた。
だから、結構狭い道の運転に自信を持ってたんだけど、今回のは脂汗が半端じゃなかった笑
だって道が超絶狭い上に、すぐ家など建物が密集してきてるから圧迫感が異様なんだよな。それにこの道、結構車の通りが多いみたいで対向車が来て、「マジかよ。どうすりゃ回避できんだ?」という独り言を何度言ったかしれない。
で、帰ってきてから気付くんだけど、この町並みが俺が目指した「椿泊の町並み」なのだそうだ。「ろくに下調べせず、現場で驚きたい」願望が、またもや裏目に出たね笑
さらに東に進んでいくと、とうとう見つけた。
史跡 阿波水軍 森甚五兵衛家歴代の墓
これが唯一の目印なんだけど、これは見落とす確率高いぜ~笑
いわれなんかを書いた説明の掲示板もないし、この白い棒がゴミ置き場に突き刺さってるだけだもの。とりあえず小さな駐車スペースと思わしきところに車を停めさせていただき、探索開始してみることに。
史跡とあるが、いったいどんな感じの空間なのだろうか。
ちなみに森甚五兵衛さんとは、
森 甚五兵衛(もり じんごべえ)は、戦国時代・江戸時代に蜂須賀家で阿波水軍を率いた森家が代々襲名した名称。
蜂須賀氏が徳島藩の大名として入国する前から、阿波国(徳島)にあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵にも参加した。また代々、蜂須賀氏の中老として参勤交代における瀬戸内海の海上移動などで重責を果たした。
Wikipedia 森甚五兵衛より抜粋
らしい。
ちょっとした階段を上り、進んでいく。
すると、わりとすぐに右手側に天神社なるものが階段上にあるのを発見。
そして……。
特徴的なお墓が多数並ぶ。
また何となくマチュピチュっぽい雰囲気の写真が撮れた。
うろ覚えだが、11代目の村芳さんのお墓は、非常に見晴らしのいいところにあり、辺りが一望……とまではいかないまでも、良い感じに椿泊の町並みが眺められる。
ところで↑の写真のように、墓石が意図的に横にされた状態で設置されているのは、何か理由があるんだろうか。台風とか強風とかで倒れてしまわないようにするためとか?
史跡と書いてあるから訪れてみたものの、途中から「あれ? ここ入っても良いところなのだろうか」と不安になってきた。
俺としてはこういう徳島県に残る歴史を残していきたい気持ちで訪れているが、墓地をうろうろするのもどうなんだろうと思い、あまり長居することなく帰ることにした。
もちろんお墓参りをして帰った。
帰宅後、改めて調べてみると「豊臣秀吉」「徳川家康」「長宗我部元親」「大坂の陣」「朝鮮出兵」などに関わる一族だったことがわかる。3代目忠村さんは15歳で朝鮮出兵したというから驚きだ。
とにかくこうして実際に訪れてみることで、新たに学べることがたくさんある。もし興味を持ち、訪れてみようという方がいたら運転にはくれぐれも気を付けよう。